涅槃会【ねはんえ】 涅槃の地クシナガラとの御縁
涅槃会とは、お釈迦さまが入滅なされた日、つまり亡くなった2月15日に行う法要です。
しかし、実は涅槃という言葉には 「煩悩(ぼんのう)の火が吹き消された安らぎの状態」という意味もあり、お釈迦様に感謝し御参りをすることにより心の安らぎを感じる法要とも言えます。

この涅槃会の法要の際はお釈迦様が亡くなられた時の様子を描いた涅槃図をかけて法要を行います。
涅槃図を見ていただくと分かるのですが、亡くなられたお釈迦様の周りには「御縁」のある多くの嘆き悲しむお弟子様や動物が描かれています。
そして、場所を示すものは書いてありませんがお釈迦様が亡くなれた場所はクシナガラと言われています。
お釈迦様は亡くなられる前、最後の布教の旅に出られます。そして、現在で言えばインド北部にあるクシナガラを入滅の地、つまり亡くなる場所と決めたのです。
なぜお釈迦様がクシナガラを入滅の地とされたのか、このような逸話があります。
お釈迦様がクシナガラを選ばれたとき、弟子の阿難はお釈迦様に質問をしたそうです。
「このような ひなびて物さみしいところを入滅の地としなくても、もっと大きくて立派な場所があるではありませんか。そういった場所で入滅されるのでしたら、人々も大勢おり、滅後に仏法を信仰する人も多いでしょう。それなのになぜ、こんなに寂しい村を選ばれたのですが。」
当時はすでにお釈迦様の教えを信じる人は大勢いましたし、いろいろな国の王様もお釈迦様の教えを信仰していますので、豪華な建物なども提供してくださったはずです。しかし、お釈迦様は阿難に
「今はさびれた地とはいえ、ここは昔大きな都があり私は前生においてこの地を治めていた。この因縁によって今この地に入滅するのである」
と答えられたのです。
涅槃図には目に見える形で様々な御縁が描かれていることは知っていましたが、涅槃の地としてクシナガラを選ばれた理由にも「縁」があることを知り私は驚きました。
お釈迦様が「前世においてこの地を治めていた」とおっしゃった と書いてありましたが、前世の記憶があることを伝えようとしているのではなく、
目に見える目先の関係だけでなく、目には見えない、見えにくい縁もあり、長い時間の先にも縁が繋がっていることを示された言葉だと私は考えています。
その釈迦様は御弟子様に亡くなる直前まで教えを説かれ続けました。
しかし、お釈迦様のお弟子様とは、当時お釈迦様のもとで修行をされていた方々だけではありません。
今を生きている私達もお釈迦様をお参りし、その教えを守ることでお釈迦様の弟子となります。
お釈迦様はそんな私達に最後の教えの中でも
「目に見える姿や形だけにとらわれるのではなく、目には見えない多くの御縁に気が付くことこそが大切なのだ。」
と語りかけてくれています。
目では見ることができない御縁に気が付くには、普段から心を調えることが大切であることは言うまでもありません。
しかし、何か難しいことを続けていかなくていけないのではありません。
様々な法要
そして通夜、葬儀。
亡くなった御先祖様をお参りする法事。
これらの法要の際に一心に御参りをすることによって亡き方が何を望み、見守ってくださっているのかを感じることができたとき、自然と多くの御縁を実感し、生かされている自分に気が付くことができるのではないでしょうか。
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