コショウと宗教

 小さい頃、ラーメン屋さんにコショウが置いてある意味が分かりませんでした。家族の中でラーメンにコショウをかける人がいなかったのも原因の1つかも知れません。




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高校生の頃、友人とラーメンを食べに行き、友人がラーメンにコショウをかけているのを見て驚きました。しかし、真似をしたいと思うことはなかったので、この時は



「コショウはラーメンにかけるものなのだ!」



と初めて知った気がします・・・






数年後大学生の頃に初めてラーメンにコショウをかけてみました。




驚きました!!




「こんなにも劇的に美味しくなるのか!!」




と感動したことを覚えています。




ただでさえ美味しく感じていたラーメンがより一層美味しく感じました!




では、コショウだけを食べたら美味しいのでしょうか。




残念ながら私は美味しく感じることはできません・・・




ラーメンとコショウが合わさって初めて美味しく感じる気がします。






話しは変わりますが、最近様々な機会に僧侶ではない「一般の方」と話すことがあります。




「一般の方」の中には 




「私には信仰心がありません」




と話される方が少なくありません。その方々の多くは





「でも、お参りはします。習慣ですから。」






とも話します。こういった御意見の方と時間をかけて話しをすると、





自分の「身体・いのち」は御先祖様からいただいている。でも宗教によって生み出されたのではない。だから先祖供養はするが、神や仏には感謝することができない





と感がえているようです。





確かに私達の大切な「いのち」は多くの御先祖様や大自然の恵みなどありとあらゆるものが重なって誕生します。





そして、どんなに経本をめくっても、どんなにお経を読んでも、突然「いのち」が誕生することはありません。





しかし、私達がいただいた「いのち」を、どのように活かすかを説いているのが宗教なのです。




宗教心や信仰心がなくても尊い「いのち」をいただいて生まれてくるかもしれません。しかし、いただいた「いのち」を活かしきる方法を多くの先人たちが文化的習慣や、宗教として伝えてくださっているのだと思います。




個人的には「信仰心」や「宗教心」というものは「ラーメンにかけるコショウ」と働きが似ている気がします。





ラーメン屋さんでラーメンを食べたいと思っても自分1人がイスに座っていてもラーメンは出てきません。




・注文を受ける人

・ラーメンを作る人

・多くの材料

・運ぶ人





などなど、本当に多くの方のおかげで自分の目の前にラーメンがやってきます。





そして、このラーメンはそのまま食べてもおいしいものです。




幼い頃は、コショウなどかけてしまったら、ラーメンの味が分からなくなってしまうかもしれません。




かけ過ぎたら、かえってせっかくの味を損ないます。




しかし、コショウの良さを分かるようになっていれば、コショウをかけることでラーメンは よりおいしくなります。





コショウには様々な種類があるので、自分にあったコショウを選ぶこともできます。





自分の力では到底生み出すことができない「いのち」と、お店に行っただけでは決して出てくることがない「ラーメン」




「いのち」を活かしきる方法を伝えてくれる伝統や宗教。ラーメンをよりおいしくするコショウ。





なんだか働きが似ている気がしています・・・
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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