仏様はどこにいるのでしょうか?

白隠禅師坐禅和讃というお経の冒頭部分に



衆生本来仏なり 【しゅじょう ほんらい ほとけなり】



という言葉があります。





「誰もが、仏様のような尊い心を産まれたときからもっています。」





と受け取ることができる言葉です。





乱暴かもしれませんが、短い言葉で説明すると





「私達は仏様と共に生きている」





とも言えます。





では、仏様(の心)と共に生きるとはどのようなことなのでしょう?





少し自分なりに考えてみました。







500仏様の姿形001
例えば、ここに元気に毎日を過ごす人がいます。











500仏様の姿形003
仏様はどこにいらっしゃるのでしょう?












500仏様の姿形002
体の中にいらっしゃるのでしょうか?












500仏様の姿形004
それとも、隣りにいてくれるのでしょうか?













500仏様の姿形006
後ろで見守ってくれているのでしょうか?












500仏様の姿形005
前で私達を守ってくれているのでしょうか?












500仏様の姿形007
それとも、実は仏様の手の上で私達は生活をして、仏様に見守られているのでしょうか?








様々な考え方が出てくると思います・・・






仏様はどのような姿なのだろうか?






どうしたら確認をすることが出来るのだろうか?






考えれば考えるほどに悩んでしまいます。






白隠禅師坐禅和讃には





衆生近きを知らずして  遠く求むるはかなさよ





という言葉もあり、





自分自身が「仏」であることを 知らずに  あちらこちらに 探しまわるのはむなしいことです





という意味があります。





姿、形、大きさ、重さ、場所、時間・・・






そんなことにこだわってはいけないのです。





自分自身が「仏」なのです。





500仏様の姿形001

この姿も仏様







500仏様の姿形003

この姿も仏様





そのことに気が付くことの大切さを、臨済宗妙心寺派の生活信条では



1日1度は静かに坐って、身体と呼吸と心を調えましょう



と、説いているのです・・・






上記の内容を東光寺(静岡市清水区横砂)の子供坐禅会に毎日のように参加してくれている子供達に何とか伝えたいとヒシヒシと感じています。

※子供坐禅会についてはこちらをご覧ください。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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