写経会のときに どんな話しをしているの? その18


 東光寺(静岡市清水区横砂)で行われている写経会で、副住職(新米和尚)の法話と配布させていただいている絵葉書を紹介させていただきます。


※なぜ、絵葉書と法話(仏教のお話)が登場するのかはこちらをご覧ください。

※写経会の御案内はこちらをご覧ください。



 今回は第18回目です。 




無所得【むしょとく】






500絵葉書 無所得 空手にして来たり






般若心経に


無所得【むしょとく】


という言葉が出てきます。



一般的に無所得と聞くと、収入がない状態と訳すことができます。



しかし、仏教の言葉としての無所得には違う意味があります。



無所得 を仏教語辞典で調べますと



・主観と客観の区別がないこと。

・執着【しゅうじゃく】がないこと。





と記されています。



執着がない と言われても少し難しく感じます。 



しかし、無所得や執着がない状態を表す言葉に



空手【くうしゅ】にして帰る



"吾等もとより空手にして、この世に来り、空手にして又帰る





と言うものがあります。




 私たちは空手【くうしゅ】という何ものをも所有しない無一物でこの世に生まれてきた。そして、ご縁が尽きれば一切の所持品を遺して以前の世界に返っていくこと。






を表しています。





「インド独立の父」と呼ばれるガンジーもメガネや服一枚だけなど、自分の所持品をほとんど持たずに亡くなっていきました。




しかし、世界の偉人と同じことをすることができるのでしょうか。




実践するのはかなり難しいのではないでしょうか?




そこで、少し考え方を変えてみると良いのではないでしょうか。




捨てることは集中すること




なのです!



空手【くうしゅ】になるということは「物を捨てること」を単純に表すのではなく、



物を捨てることが正しいのではなく、こだわりを捨てること、余計な考えを捨てること




ということこそが、空手【くうしゅ】になることなのです。





その実践が坐禅であり写経であり、お参りなのです。




集中しようとしたときに、余計なことを考えるのは当り前のことです。




大切なことは、余計なことを考えたときにそれを掘り下げないことです。





「考えたことを掘り下げる」とは「部屋の片づけをしようとした時に昔の写真が出てきたから、これらの写真を見始めてしまう」ようなものです。これですと部屋は片付きません。


部屋の片づけをしようとしたら昔の写真が出てきたとしても、写真は後から楽しもうと、そっと横に置いておき、片づけに集中することが大切です。





坐禅をするときには坐禅に集中する
写経をするときには写経に集中する
お参りをするときにはお参りに集中する






当たり前のようですが、大切なことであり、大変なことです。





 これから写経を行っていただくわけですが、「無所得」の気持ちで取り組んでいただければ、本日の写経がより良い経験となるのではないでしょうか。

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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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