写経会のときに どんな話しをしているの? その15

 東光寺(静岡市清水区横砂)で行われている写経会で、副住職(新米和尚)の法話と配布させていただいている絵葉書を紹介させていただきます。


※なぜ、絵葉書と法話(仏教のお話)が登場するのかはこちらをご覧ください。

※写経会の御案内はこちらをご覧ください。



 今回は第15回目です。 



法灯明【ほうとうみょう】



500写経会 絵葉書 法灯明





般若心経の中に 「無明」 や 「老死」 という言葉が出てきます。





 少し難しい言葉になってしまいますが、この部分は 無明から始まり、老死まで続く十二因縁【じゅうにいんねん】(十二縁起)について書かれた部分です。




 十二因縁とは、人々の悩み苦悩と苦悩を取り除く方法を順序立てた考え方で仏教の基本的な考え方の1つです。



 そして、この苦悩といものは、正しい教えに出会うことができない「無明」から始まって、老いて死んでゆく「老死」まで続きます。

 



 そして般若心経では、無明から始まり老死にまでいたる悩みすら「空」だと説いています。 




 つまり、「これらの悩みにすらとらわれてはいけない!!」



 と説いているのです。





 では、どうしたら悩みにとらわれずに生きていけるのでしょうか?
 
 悩みはどのように解決すれば良いのでしょうか?







 お釈迦様は 自分が無くなる時に 教えを残しています。 




 それが 自灯明 ・ 法灯明です





 自灯明は自らを拠り所にすること

 法灯明は教えを拠り所にすることです。





 絵葉書には





 法灯明 "法【真実の教え】を灯火とし 拠り所とする





 教えのかなめは 心を修めることにある 心は人を仏にし、また畜生にする。 迷って鬼となり、 さとって仏と成る"






 と、紹介させていただいています。







 「教え」とはお釈迦様の教えであります。




 そしてこの「教え」はどこか遠い所にあるわけではありません。



 どこにあるのかと言えば「心」にあります。





 
 では、心に備わっている真実の教え(仏様の心)にどのように気が付くことができるのでしょうか!??




仏様の心は「池の底に沈んでいる宝のようなもの」と例えることができます。






 池がそれぞれ深さも形も異なるように、人間の心に同じものはありません。



 その日の条件によって流れも波も違います。





 
 でも宝は必ずあるのです。





 
 よどみのない心に自分自身がなったときに、その宝は自然と光り出すのです。






 よどみのない心は仏道修行によっても見出すことができるのです。







 坐禅・写経・読経・・・・様々な東光寺では様々な行事をおこなっています。






 お経は仏の教えであり、読経・写経は仏教の教えを理解する手助けになります。




 そして絵葉書にある大般若の法要は仏教の教えを体感する行事とも言われています。





 お寺で行われるどんな行事・法要には仏教の教えが生き生きと流れています。






ですから写経会の際には、呼吸を調え、真実の教えである般若心経を写経し味わっていただければと思います。
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人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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