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どんな時代にも響く教えは変わらない【吾唯足知】


江戸時代の世俗な歌に

こうして こうすりゃ こうなると 知りつつ こうして こうなった



というものがあるそうです。




いよいよ都会ではコロナウイルスの影響が大きくなり「首都封鎖」などという言葉も報道されるようになってきました。この言葉が報道されると、次のニュースは「スーパーから物が無くなっている」です・・・



パニックになって 買占めなんかすりゃ 困る人が増えると 知りつつ 買わずにいられず 買いに行ってしまった



私も足りないものがないかと考えながら本堂内を歩いていると東光寺(静岡市清水区横砂)の本山である妙心寺から送られてきたポスターが目に入りました。




600どんな時代にも響く教えは変わらない吾唯足知



自らの分がわかっているので、満足することを知っていることを意味する

吾唯知足【吾唯足るを知る:われ ただ たるを しる】

がそこに描かれていたのです。


足りないものはないかと考えている未熟な私に


「今できることは何が足りないかを探すのではなく足りていることに気がつきなさい!」


と伝えてくれた心に突き刺さる言葉でした。







江戸時代の人も

こうして こうすりゃ こうなると 知りつつ こうして こうなった

となってしまったようです。そして現代を生きる私達も買占めは良くないと思いつつ買ってしまう・・・


吾唯知足などの教えはどんな時代にも響くものです。こういった教えは変わらないのだと実感しています。

自分の言葉に苦しむことがある

500こまめ あのね カラー



思ったことを素直に口にすることができる人はすごい人だと思います。


私は建前や見栄を気にするあまり思ったことを口に出せず、心にもない言葉を出してしまうことがあるからです。


しかし、最近ふと 

“心で感じたことと 実際に口に出している言葉に開きがあればあるほど、自分自身の悩みや苦しみが大きくなる”

と思うようになりました。






もちろん、ろくでもないことを感じて それをそのまま口に出しているようではいけません。

心を調えて、調った言葉を口に出すことができれば、そこから悩みや苦しみが発生することは考えづらいものなのではないでしょうか。



伊藤古鏡氏が昭和38年に出版した「臨済宗衲覩(臨済宗ノート)」の中に児童の手引きという章があり、その中に“正しいことば”という詩がありました。





正しいことば


正しいことばを きれいにかたろう

じぶんを だいじに する人は

たにんも 愛して だいじにする

まがったことばは たにんをくるしめ

じぶんもくるしむ もとになるのだ







心を調えて、調った言葉を口に出そうとするだけでなく、言葉を調えることで苦しみが軽減されることまで伝えてくれる言葉だと感じました。



顔は分かる、でも名前が分からない・・・

600合掌160126



様々な場面でよくお会いし顔も知っている。

隣になれば話す。

・・・だけど名前はおろかどこの誰で何をしている人なのか良く分かっていない。

しかし、向こうは自分のことを知っているようなので核心部分をごまかしながら適当に相槌を打つ。





誰もが経験することではないでしょうか。

・・・私も時々あります。






禅の言葉に





「相い逢うて相識らず、共に語りて名を知らず」

【あいおうて あいしらず ともにかたりて なをしらず】






という言葉があります。

言葉だけの意味を捉えようとすれば

「普段から会っているのにお互いに認識はなく、共に語り合っているのに相手の名前を知らない。」

という意味になります。






あれ!? 顔は知っているけど誰か分からない人に、適当に相槌をうっている私のこと??

もちろん、そんなダメな人間の姿が禅の教えを示す禅語として伝えられるはずもちろんはありません。



表面上のことにとらわれず、こだわりや妄想をすべて捨て切って、私達の中にある“本当の自分”と向き合いなさいと説いているのです。


顔を知っているけど誰か分からないときに、話しの内容から、その人の名前や肩書、自分との接点などを探ってはいけないのです。


やらねばいけないことは“相手のことを思い出さないと自分の立場が悪くなる”という自分の利益を優先するのではなく、名前や肩書といった上っ面のこと忘れて相手の話しをただ聞きひとつになることだと私は思います。

印象的な言葉 【近くで見守ってください】

5002【葬儀】龕前念誦




お葬式では故人に対して弔辞やお別れの言葉を話すことは珍しいことではありません。


亡くなってしまった方に語り掛ける言葉に心打たれます。






あるお葬式に参列したとき、故人のお孫さん数人が前に出て一言ずつお別れの言葉を話し始めました。




「おばあちゃん、今まで面倒見てくれてありがとう。天国から私達のことを見守っていてください。」

「天国でおじいちゃんとゆっくり過ごしてください。」

「向こうの世界でも、人見知りをしない性格で友達をたくさん作ってね。」



そのような言葉が続きます。そんな中、1人のお孫さんが


「おばあちゃん、今までありがとう。これからも近くで見守っていてください。」


と言ったのです。





極楽、あの世、天国、地獄、空の上、星、お別れの言葉の中で様々な行き先を聞いてきましたが“近くで”と表現した方は初めてでした。





この言葉を聞いたとき、一休さんと親しまれている室町時代の禅僧・一休禅師の



死にはせぬ

どこへも行かぬ ここに居る

たづねはするな ものは云わぬぞ




という詩を思い出しました。






私はお孫さんの“近くで”という表現は素晴らしいものだと感じます。


亡くなった方は、どこか遠くの手の届かない世界に行ってしまうのではありません。


私達の心に生き続けているのです。


ですから、亡くなった方が旅立たれる極楽もあの世も天国も地獄も全て私達の心の中にあるのです。





で、あるのならば「これからも近くで見守っていてください」という言葉はとても的確で分かりやすい言葉だと感じました。

キャベツと予定を選んではいけない その2

5002こまめ 先着と損得





前回の記事で


「選ばずに手に取ったキャベツをカゴに入れることが“選り好み”から離れる練習なのです」


と表現した和尚様の話しを紹介させていただきました。
※記事はこちらです



もちろん、キャベツを選ばないことだけが“選り好みをしない”練習ではありません。



私が本格的にお寺での生活を始めたころに“選り好みをしない”ための日常生活を紹介させてください。






あるとき、1人の和尚様に


「僧侶の予定は早い者勝ちだ。予定が決まったらすぐにカレンダーに書き込んで消してはいけない。」


と教えていただきました。



どんな些細な約束も先に頼まれたのならば、その約束を優先させなさい。



と言うのです。




当時の私は、何か頼まれると



予定表を見る

同じ時間にすでに予定がある

今頼まれたことと、以前に頼まれたことを見比べ、どちらの先順位が高いか考える

予定を取捨選択する



と、いったことをしてしまっていました。


しかし、これは”選り好み”そのものなのです。


仏教では”選り好みをしない”ことの大切さや、選り好みが迷いや苦しみを作り出すと説いています。


そのことを説く僧侶が、日常生活の中で選り好みをしてはいけない。


そのために、普段から“予定は早い者勝ち”を徹底することが大切だと教えていただきました。






実際にやってみようと心がけていますが、「先約がありまして・・・」と言い出しづらく実行しきれていないこともありますが、これからも“予定は早い者勝ち”を実践していきたいと思います。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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