仏様の心とドーナッツ

私は甘いものが大好きです。



和菓子・洋菓子、なんでも好きです。



お酒は飲めませんが、甘いものには目がありません。



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もちろん、ドーナッツも好きです。




先日、法話(仏教の話し)を聞きに行った際も、前の席の方が持っていたドーナッツの箱が気になってしかたがありませんでした・・・




なぜ、ドーナッツの話しかって??



実はドーナッツと仏教には関係があるのです!!




以前、ある和尚様がドーナッツと仏教の関係について




「仏様の心っていうのはドーナッツの穴ですよ!」




と、話していました。




約250年以上前に活躍をされた白隠禅師は、




誰もが生まれ時から仏様のような尊い心をいただいて生まれてくることを「衆生【しゅじょう】本来仏なり」と説かれました。




この仏様の心がドーナッツの穴だと言うのです。




ドーナッツには穴があります。




必ずあります。




しかし、穴の中に何かがあるのかと聞かれても困ります。




でも穴は確実にあるのです。




ドーナッツがあれば穴があり、ドーナッツが無くなれば穴も無くなります。




時代が変化し、




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チョコレートをかけられても



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砂糖をかけられても





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モチモチの食感になっても




穴があるのです。




私達が命をいただいて生まれたときから「仏様の心」をいただいています。




しかし、「仏様の心」そのものを見せろと言われると難しい。




でも、やっぱり「仏様の心」はあるのです。




時代が変化し、私達の生活習慣や体格に変化があったとしても




「仏様の心」は確かに存在している・・・・




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ドーナッツの穴と、仏様の心。確かに分かりやすい例えだとドーナッツを食べながら感じる、今日この頃です・・・

竹林の管理が面倒だと ぼやく私の心に突き刺さる言葉・・・

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竹があるから






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タケノコが出てくる





最近は竹の有効活用で竹ろうそくをするなど、協力してくれる方々のおかげでだいぶ改善をしてきましたが、東光寺の観音山もまだまだ手入れが行き届かず、苦労をしています・・・





しかし、苦労と同時に多くの体験を通して教えていただくこともたくさんあります。





以前から観音山の頂上には観音様が祀られ、昔は毎月17日には多くのお参りの方が頂上まで登り、お参りをしたと聞いています。





多くの先人が大変な労力と苦労をされて残してくださった大切な場所で多くのことを私達も学んでいることに感謝しています。






禅の言葉に



南地竹北地木



という言葉があります。



南地【なんち】の竹、北地【ほくち】の木



と読むことができる、碧巌録【へきがんろく】という禅の書物に出てくる言葉です。(第十二則)






南の地方には竹林が、北には森林がどこでも見られる。





という意味です・・・





もう少し詳しく説明をしますと、




竹林も森林も至る所にある、それと同じように大切な教えは、どこか遠くにあるのではなく、どこにでもある。すぐ近くにある。




という意味です。




竹林の管理が面倒だ、草刈りが大変だ・・・



ついつい愚痴をこぼしてしまいますが、自分の受け取り方しだいで全てが有難いことであると感じることができるはずなのです。





「タケノコが採れておいしかった、ありがとう」





という目先の喜びだけで心がフラフラしている私の心に




南地竹北地木




という言葉が突き刺さります・・・

一回きりの給油で自動車がいつまでも走れるものではない


500こまめ マラソンをするこまめ 走る カラー


今から約35年前の昭和57年10月発行に発行された会報の記事に円覚寺派管長(当時)の足立大進老師の言葉ありました。




 臨済宗の僧侶で「老師【ろうし】」と呼ばれる和尚様は、多くの和尚を指導する立場の大変徳の高い、とってもえらい和尚様です。





 そんな足立大進老師が、若い和尚に、




一回きりの給油で自動車がいつまでも走れるものではない。

ガソリン不足の車が高速道路へ出れば、自分が走れないばかりか、他の多くの車の妨げにすらなる。

出家をして、禅僧としての給油をおこたってはなるまい。






と、呼びかけていました。

※記事の全文は臨済宗青年僧の会で読むことができます。





もちろん、「禅僧としても給油」も必要です。




しかし、この言葉を読んだときに、




科学と仏教の共通点や関係性を少しでも多くの方に伝えたいと考えていた以前の自分を思い出しました。





私は科学と仏教には密接なつながりがあると考えています。





しかし、そのために科学のことも、仏教のことも、もっと勉強をしなくてはなりません。





それが、私なりの給油であるはずなのに、





「学生時代の経験以外のことを本当に学ぼうとしているのか」




と問われているように感じました。




一回きりの給油で自動車がいつまでも走れるものではない。人(禅僧)としての給油をおこたってはなるまい。




この言葉を意識しながら、科学も仏教もしっかりと学び続けていきたいと感じました。

子供に坐禅会で話したこと 第235番 クシナガラ


子供坐禅会(平成29年春休み:テーマは涅槃図)で話した内容を紹介させていただきます。




今回は



涅槃図シリーズ その2 【拘尸那竭羅:クシナガラ】



です。


500仏教豆知識シール244 クシナガラ

東光寺(静岡市清水区横砂)子供坐禅会では毎回お寺や仏教に関係する話しをしています。



そして、話の内容にあった「仏教豆知識シール」を参加者に配布しています。



自分自身の備忘録も兼ねて紹介させていただきたいと考えています・・・・


 ※以下の内容は子供向けに話したものです。





お釈迦様が亡くなる時の様子を描いた図を「涅槃図」と言います。



お寺にお参りに行くと掛け軸など様々な絵を見ることがあるかもしれませんが、涅槃図は特に登場人物が多い絵ですので見覚えがある人も多いのではないでしょうか。
 



ちなみに、お釈迦様が亡くなれた場所はクシナガラと言われています。




お釈迦様がいよいよ力尽きクシナガラで休むと言った時、御弟子様の1人が質問をしました。




「このような ひなびて物さみしいところで亡くならなくても、もっと大きくて立派な場所があるではありませんか。そういった場所で亡くなれば、たくさんの人が来てお釈迦様の教えを聞いてくれると思うのですが、なぜこんなに寂しい村を選ばれたのですか。」




そこでお釈迦様は答えました

「今はさびれた地とはいえ、ここは昔大きな都があり私は前生においてこの地にいたのです。だからこそ、今この場所で休み死んでいくのです。」





涅槃図を見たときに、どうしても多くの登場人物に目がいってしまいますが、絵では表現されない部分もあるようです。
 お釈迦様が「前世においてこの地を治めていた」と言ったのは、前世の記憶があることを自慢しようとしているのではありません。目に見える目先の関係だけでなく、目には見えない部分や、過去から未来までもが縁で繋がっていることを示された言葉だと私は考えています。






涅槃図を見たときに、何を感じて欲しいのかといえば、目で見える景色だけなく、目には見えない世界にも大切なつながりがあることを感じてください。




具体的に言えば、1人の命が誕生するには2人の両親が必要で、その2人の両親が誕生するには4人の祖父母が必要です。このような命のリレーとも呼ばれる命のつながりはなかなか絵で表現をすることが難しいかも知れません。しかし、感じとることはできるはずです。





そして、過去も未来も両方を大切にするために何ができるのかといえば、




過去と未来の間である「今」を大事にすることこそが大切だと感じとっていただければ幸いです。

貪る心で何が得られるのか!?

500自販機で当たったお茶


仏教の言葉に「貪【とん】」というものがあります。




人間の心を迷わせる3つの毒を三毒といい、その1つが貪【とん】です。




三毒には




貪【とん】

瞋【しん】

痴【ち】





があります。





貪【とん】は貪欲【どんよく】とも言われる、むさぼり求めることです。





先日、私は見事に貪【とん】に振り回されてしまいました。





ある日、自動販売機で飲み物を購入したところ、直後に聞き覚えのない音楽が鳴り始めたのです。





そして、よく見ると自動販売機の投入金額を示す部分に





「7777」




という数字が表示され、飲み物を購入するボタンが光っています。





状況を把握するのに少し時間がかかりましたが、どうやら





「あたり!!」





のようです。その自販機が当たり付だとも知らず飲み物を購入したら当たったのです。





「あたり」を求める気持ちなど私にはありませんでした。




しかし、思いがけず「あたり」に遭遇した私は





「今の自分には運【うん】があるのではないか!?宝くじを購入したら当たるのではないか!!」




と、考えてしまったのです。





そこで急いで宝くじを購入・・・





当然結果は・・・はずれです。





ありがたい御縁をいただき「あたり」を経験できたのに、貪りの心が出てしまい、最後に残ったのは




「はずれ」という結果と、「後悔」の気持ちです。





見事に貪りの心に振り回されてしまいました。





反省、反省、また反省です・・・・
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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