FC2ブログ

実践して実感する例え話

仏教や禅の話に「泥水の例え話」がよく出てきます。



水が清らかな心、泥が煩悩を示します。

器の中で水と泥を混ぜれば当然にごります。

この状態が普段の私達の感情だというのです。

しばらく待つと、泥は沈み上層部の水は透き通ります。

この状態を“心が落ち着く”、“心が調う”と表現します。






先日、小学校に通う娘が泥水の入ったペットボトルを持ち帰ってきました。


理科の授業で地層を学んだとのこと。


600泥と水1




このペットボトルを見たとき


「あ、あの例え話だ!」


と感じました。


早速、泥が沈殿していく様子を見てみようとペットボトルを振ってみました。


しかし!!!


なかなか沈殿しません!!!


数時間後、ようやく“ある程度”沈殿をしました。


でも、水は濁ったまま・・・


24時間くらい経過すると、ぼやっとした透明になります。


「ある程度、透明」と言っても良いと思います。


その後は本当に少しづつ、すこしづつ水は透明になっていくのです。


沈殿した泥が増えたようには見えないのですが、小さな粒が少しづつ落ちていき水がきれいになってきました。




600泥と水2


なんと1週間が経過してようやくこの状態です。





今まで私は「泥水の例え話」に時間の概念を入れていませんでした。


泥水の例え話を知識としてだけ受け入れて話してきたのです。


しかし、実際にやってみると水が透明になるのに思いのほか時間がかかることを体感することができました。



この経験をしたときに、心を調えたいと感じて坐禅などに取り組む方のことを考えました。


坐禅は短い時間でも心が調うことを実体験することができます。


しかし、泥水の水も始めたばかりのときは“ある程度の透明”にはなるものの、そこから透明になるまでに長い時間が必要です。


心を調えるということも同じだと感じています。


“ある程度”から“しっかり”と調うまでは長く険しい道のりかもしれません。


目に見える成果もありません。


しかし、泥水が時間をかけて透明になったのを見て、一歩一歩を着実に進むことで私達の心は、しっかりと調っていくと信じて、そして時間の概念も加えた例え話をしながら、これからも坐禅の尊さを伝えていきたいと考えています。

オンライン特別講座 動画公開


600オンライン特別講座3




以前も紹介をさせていただきましたが、臨済宗青年僧の会では、令和2年11月19日にオンライン特別講座「ジブリと禅の生き方問答」を開催いたしました。


スタジオジブリ 代表取締役プロデューサー鈴木敏夫氏と龍雲寺住職細川晋輔師の対談は、柔らかな話しの中に奥深さを感じるものでした。




当初は、生配信のみということでしたが、対談をされた御二人の御好意により、当日の動画を臨済宗青年僧の会YouTubeチャンネルにて公開させていただけることになりました。

※動画はこちらをクリックしご覧ください。
※臨済宗青年僧の会YouTubeチャンネルはこちらです。




当日は平日の午後3時からの開催と言うことで、「見ることができなくて残念。」といった声をいくつもいただきました。



しかし、今回この動画を公開することで、いつでもこの対談をご覧いただけるようになりました。



興味のある方はぜひ!!

縦糸と横糸は 普段の生活と坐禅だと思う

600バイオリンこまめ カラー





私は音楽が苦手です。

歌を聞いてもメロディーと歌詞を一緒に聞くことができません・・・



メロディーを聞くと歌詞が頭に入ってきません。

歌詞を聞くとメロディーが聞こえません。

驚かれることもありますが事実です。



そんな人間ですので、結婚式のときに使用する音楽は妻に決めてもらいました。




妻が選んだ曲の中に中島みゆきさんの「糸」がありました。

このとき始めて歌詞を聞いたとき、驚き感動したことを覚えています。





縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布はいつか誰かを
暖めうるかもしれない


縦の糸はあなた横の糸は私
織りなす布はいつか誰かの
傷をかばうかもしれない


縦の糸はあなた横の糸は私
逢うべき糸に出逢えることを
人は仕合わせと呼びます








ご存じの通り織物は縦糸と横糸で織られています。

縦糸に横糸を組み合わせることで布が出来上がっていきます。


中島みゆきさんの「糸」は人と人との出会い・御縁を布のようだと見事に表現されていると感じました。

結婚式にふさわしい歌詞だと今でも思っていますし、この曲を選んでくれた妻に感謝しています。





最近、改めて「糸」の歌詞を見ているときに、縦糸と横糸の関係は坐禅と日常生活の関係にも似ているように感じました。



坐禅と言いましたが、宗教心や真心、大切な心、仏心、心とも表現できるかもしれません。

普段の生活の中で、坐禅・宗教心といったものを感じることは多くありません。



縦糸は織物の表に出ることはなくても重要な役割を果しています。むしろ縦糸がなければ織物を作ることはできませんし、完成した織物でも縦糸が切れれば大きなほころびとなってしまいます。



同じように私達たちを構成しているのは日常生活や日常生活を送るために知識や経験だけではありません。

縦糸のような「芯」となる部分に日常を編みこむことで私たち一人一人が構成されているのです。



私達はその芯となる部分を宗教心、禅、仏心、心などと表現をしています。



身体を調え、呼吸を調えることで心が調うことを実感するのが坐禅です。



坐禅をすることで心を調えたとき、自然と「芯」を見つめ直すことができます。



自分の「芯」を感じることは、自分自身の縦糸を感じることです。




縦の糸はあなた横の糸は私

逢うべき糸に出逢えることを

人は仕合わせと呼びます






自分自身の心と出会い、日常生活を送れることが幸せなのかもしれません。

箱をとっておくことは 地位や名誉に縛られている姿

空き箱があると「何かに使えるかも!?」と考えてしまうことがあります。



600空き箱 段ボール ダンボール3



しかし、多く場合使うことなくリサイクルに出されたり捨てられたりします。


つまり、使えると思ってとって置いた場所と時間を無駄にしてしまっているのです。


役に立ちそうという自分の思い込みによって、時間と場所という大切なものを失ってしまっているのです。





「何かに使えるかもしれない」は危険な言葉だと言うことは多くの方が実感をしているのではないでしょうか。



ゴミのような物が散乱し、とても人が住めないような場所にいる人に、片付けをするように促しても


「それはいつか使える」


と言ってなにも片付けることなく生活を続ける姿をテレビなどで見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。






このような空き箱など「いつか何かに使えるもの」をとって置く姿は、私達が何かに縛られて苦しむ姿に似ているように感じます。





「禅」では


放下著【ほうげじゃく】 


無位の真人【むいのしんにん】


勿嫌底法 【嫌う底の法勿し:きらう ていの ほうなし】


など、多くの言葉を使って、煩悩や執著、そして地位や名誉、過剰なお金などを捨て去れと説いています。
※それぞれの言葉をクリックすると、それぞれの言葉の記事へ移動します。




たまってしまった空き箱を目にしたとき、「これはいつか何かに使える」と言って物が散乱する部屋を見たとき、それらの物が自分自身の煩悩であり執著であると認識しなくてはいけません。



心の掃除をしたいと思ったとき、坐禅なども有効な方法かもしれませんが、心を表している散乱した部屋を片付けることも大切かもしれません。

法話が掲載されています

臨済禅 黄檗禅 公式サイト 臨黄ネット

というサイトがあります。



臨済宗・黄檗宗の教えなどを伝えるサイトです。

※サイトはこちらです




myo_2011b_link.jpg




サイトの中には「禅語の解説」や「様々な和尚様方の法話」が掲載されており、毎月更新されています。


この法話のコーナに私の法話を掲載をしていただいています。(令和2年11月)


お時間ある方がいらっしゃいましたら、ぜひご覧ください。


※法話はこちらです
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる