写経会のときに どんな話しをしているの? その51

東光寺(静岡市清水区横砂)で行われている写経会で、副住職(新米和尚)の法話と配布させていただいている絵葉書を紹介させていただきます。


※なぜ、絵葉書と法話(仏教のお話)が登場するのかはこちらをご覧ください。

※写経会の御案内はこちらをご覧ください。



 今回は第51回目です。 


500写経会 絵葉書 51 清風



般若心経というお経の最後の部分に羯諦【ぎゃーてい】という言葉があります。



羯諦の原語は「ガテー」というサンスクリット語で、「行く」という意味の動詞から派生したと言われています。




ですから、



「行った者よ」 や 「行く者よ」



と訳すことが多いそうです。



どこに行くのかと言えば、悟りの世界と言われるところです。




「悟り」という言葉を聞くと私の頭の近くに「?」がどんどん出てきます。



悟ったことがない私にとって難しい言葉です。




しかし禅の言葉「禅語」には悟りの世界を示す言葉があります。




今回の絵葉書には咲き誇るヒマワリの花に清風【せいふう】の文字と、



小林一茶と交流あった桂丸の



「暑き日や 心すませば 風の吹く」



という句も入れました。




清風は、心の修練によって ありとあらゆるとらわれを捨て去った後の清々しさを爽やかな風に喩えた言葉です。つまり悟りの世界を示す言葉でもあるのです。




私は



「暑き日や 心すませば 風の吹く」



という句を読んだとき、



“風の吹く” を “風に気がつく” や “風を受け入れる” と読み取っていました。




暑い日で、「暑い暑い」と文句を言っていた時でも 心が調えば 涼しい風が吹いていることに気がつくことができる。




と、この句の意味を感じていました。しかし、少し違う読み取り方もできる気がしました。




“風の吹く” を “清風を吹かす” と読み取ると



“暑い日に 自分の心に 清風を吹かす”




と、とらえることができるのです。





このヒマワリの写真は東光寺(静岡市清水区横砂)の境内にある袖師保育園が管理する子供の畑で育てたヒマワリです。




畑一面のヒマワリは圧巻でした。ヒマワリは真夏の8月上旬に満開になったのですが、ヒマワリ畑に立つとわずかな時間ではありますが、暑さを忘れ、心地よい風が吹いていることに気がつきました。




美しく咲き誇るヒマワリの力で少しだけでも心が落ち着いた瞬間だったのかもしれません。





しかし、心が落ち着く時間は短く、すぐに




「あ、蚊がいる!」 や 「あ、雑草が生えている!!」 など別のことが気になってしまいます。




それよりも、風を感じるだけでなく、自分自身が心を落ち着かせることができれば清風を起こるはずです。




風が吹いていることに気がつく心があるならば、次は自分が清風を起こすことも可能であり、そのことが大切だと



「暑き日や 心すませば 風の吹く」



という句は教えてくれている気がします。

「こつ」は「こつこつ」 その1

500こつはこつこつ


先日、ある法話会を聴講させていただいたときのことです。




法話が終わると、




「和尚様、今日の話しを聞いて心を調えることの大切さはよくわかりました。しかし、どうしたら心が調えられるのか私にはわかりません。何かこつはありますか?」





と、一般の方が質問をされました。これに対して和尚様は




「こつなんてないよ。でもしいて言うと こつは こつこつ とやっていくことですよ。」




と答えられていました。




とても分かりやすい答えだと感じました。




「こつ」という言葉の語源は「骨【ほね】」だと言われています。



骨は体の中心にあり、体を支える役目を果たしていることから、人間の本質を意味します。ここから「こつ」は勘所や要領も意味するようになり、物事の本質を見抜き、自分のものにすることを「コツをつかむ」と言うようになったそうです。







つまり、「心を調えるこつ」とは




とっても大切な教えを理解し、自分のものにする方法




を意味することになります。




もちろん、突然できるようになる魔法はありません。



少しずつ学び、少しずつ体験していくしかないのです。




このような説明を




「こつは こつこつ!」




という短い言葉の中で表現してくださったのだと考えています。

ファラデーと自灯明

500ロウソクの炎161002





仏教の言葉に自灯明【じとうみょう】という言葉があります。




自灯明には



自分自身を拠り所にする、誰かに頼るのではなく、あくまでも自分の人生は自分自身が主人公となって生きていく



という意味があります。





灯明とは神仏に供える灯火などの光のこと示しています。




私達の今の生活に「光」はとても重要な役割を果たしてくれています。




夜になれば電気がつく。その光によって安心して過ごすことができています。




では、私達がいま使っている電気を作り出しているところはどこでしょうか?




もちろん「発電所」です。




発電所で電気を作るときは、必要なものはコイルと磁石です。



コイルと磁石があれば電気を発生させることは難しいことではありません。



しかし、電気を作り出すための理論の根底にあるのが約200年前のイギリスの科学者であるマイケル・ファラデーが発見した様々な法則です。



ファラデーがいなけれ、現代の私達はこんなにも電気を使うことができなかったかもしれません。




そんなファラデーが残した言葉の中に




「自ら光り輝くろうそくは、どんな宝石よりも美しい」





という言葉があります。



ファラデーはロウソクの燃焼についても熱心に研究し、その結果を次の世代を担う子供達にも伝えた内容が「ロウソクの科学」という本で残っているほどです。そんなロウソクを調べた男性が




宝石は別の光に照らされなければ輝くことはできず、ロウソクは自らが燃焼することによって光り輝きます。




研究に研究を重ねたフェデラーが残した言葉が、仏教の大切にする言葉である「自灯明」に近いことは大変興味深いと感じました。

夏と飛行機と禅定

私は飛行機が好きです。



500飛行機170829




乗るのも、見るのも、想像するのも好きです。



500飛行機1708292






さて、夏と言えば海を連想する方は少なくないと思います。




私自身も夏休みに海がにぎわっているニュースを見ると羨ましい気持ちになることもあります。



しかし、私は今年の夏、水辺でのニュースで一番印象に残っているのは琵琶湖でのニュースです。それは、琵琶湖で行われた鳥人間コンテストでの出来事です。




40年の歴史のある大会ですのでご存知の方も大勢いらっしゃるかと思います。




今年の大会で、とうとう人力プロペラ部門で40kmの記録が出たのです。私も中学校時代からこの鳥人間コンテストが好きで、友人達とチームを作って大きくなったら参加できるように小遣いを出し合って貯金もしたことがありました。




今年40kmの記録を出したこの大会ですが、40年前の第1回大会は人力部門がなく、飛行機を持って飛び出していく滑空部門だけでした。優勝記録が100mにも届きませんでした。開催10年目に滑空部門だけでなく人力プロペラ部門が登場します。当時としても記録は飛躍的に伸び500mを突破しました。その後、参加者達の努力や経験が積み重なれて記録は少しずつ伸びていきました。




40kmという記録はとてもすごいものです。途中から記録が伸びすぎて琵琶湖を渡り切ってしまうようになり、折り返しのルールができ、高さ10mのスタート台から琵琶湖を突っ切り、折り返してスタートまで戻ってくると40kmになるのです。琵琶湖に縁がない私は数字だけ聞いてもピンときませんが、清水港から土肥を結ぶ駿河湾フェリーが30kmですので、ここから伊豆へ渡るよりも長い距離を手作りの人力飛行機で飛んだことになるのです。




 そして、この記録を達成した男性にも物語がありました。学生時代に鳥人間コンテストに出たいと考えますが書類審査で落選してしまいます。その後、社会人になっても夢を諦めきれず、数年間たった1人で飛行機を作り続けます。やがて、会社の協力もあり就業時間外に会社の仲間と活動を続け、とうとう昨年の大会に出場し好記録をだします。その後も昼休みも返上し飛行機の作成やパイロットとしてペダルをこぎ続ける練習など努力を続けた結果、前人未到の40kmの大記録を打ち立てたのです。




 もちろん、自分の時間を投げうって続けた努力や、体調管理、書類審査で落ちても数年間挑戦し付ける努力など多くの努力がこの記録を作り出したことは間違いないのですが、同じ人が同じ機体で清水港を出発して駿河湾を越えて土肥港まで行きつくことができるのかと言えば、行けるとは言い切れないそうです。




比較的穏やと言われる駿河湾でも波が立ち、風が出れば30kmを渡り切れそうにありません。ましてや荒海では、これまでのどんな努力をも飲み込んでしまうのです。






禅の心を一般の方々に分かりやすく説いた山田無文老師は著書「白隠禅師坐禅和讃講話」の中で、



それ魔訶衍の禅定は 称嘆するに余りあり




という部分のことを、





祈祷も断食も加行も奉仕も、あらゆる宗教道徳の一切の善行がことごとくこの禅定の二字に帰するのであります。言葉を変えれば、禅定の二字から出てくるのであります。

宗教道徳の世界のみならず、社会生活のあらゆる面が、禅定をはなれてはありえないことを「それ魔訶衍の禅定は 称嘆するに余りあり」と、ほめたたえられたのであります。






と説かれています。




禅定 という言葉をもう少し詳しく説明しますと、



心静かに瞑想し,真理を観察すること。またそれによって心身ともに動揺することがなくなり安定した状態ということができます。




 よく仏教の例えとして私達の心を池などの水面に例えます。心が乱れてしまっているときは水面が波立って荒れ、禅定、つまり心が調っている状態を穏やかな水面に例えます。






様々な努力を重ねて手作りの飛行機で飛び出しても、水面が乱れれば記録が出ないように、私達は努力を重ねると同時に心を調えていく必要があるのです。鳥人間コンテストでは湖面の乱れとこれまでの努力が必ずしも結びついてきませんが、我々の生活では




一切の善行がことごとくこの禅定の二字に帰り、禅定の二字から出てくる。




という言葉で表わされるように、善い行いが私達の心に届き、その心に私達は支えられて生きていくことができるのです。





 私達は禅定という言葉を聞くと自分にはなんだか難しそうだと感じてしまいます。




しかし、禅定やそれにつながる実践をすることができる行がお寺には数多くあります。お寺での坐禅会や写経会なども、もちろん心を調える大切な実践の場所です。




 仏教には坐禅や写経だけでなく私達がご先祖様からいただいた尊い習慣やお寺での行事にこそ大切な実践があり、そのどれもが「禅定」へとつながっているのです。





皆様もお盆や年末、そしてお彼岸の季節にはお寺やお墓に御参りをするという尊い習慣がございます。御先祖様から受け継いだ素晴らしい習慣を守りながら、お寺で行われている坐禅会や写経会など様々な行事・法要に御参加いただければと考えています。全ての行事・法要が禅定につながる実践の場であり、どんな行事・法要にも御先祖様が大切にしてきた仏教の教えがつまっています。 ぜひ、自ら一歩を踏み出し貴重な実践を一緒にしていただければと願っています。

施餓鬼で食事をいただく覚悟!! その1

500施餓鬼160807002

夏になると「施餓鬼【せがき】」と言う言葉を耳にする人もいるのではないでしょうか。



 この施餓鬼と食事の関係について書こうと考えたのですが、いっぺんに書くと文字数が増えすぎてしまうので3回にわけて書こうと考えています。




本日はその1回目【施餓鬼の由来】です。 




先日、久しぶりに会った大学時代の友人6人の中に「施餓鬼」という言葉を知っている人はいませんでした。



彼らは何も特別な生活を送っているわけではありません。


日本でごくごく一般的な生活をしている人たちです。


お寺や宗教に対して嫌悪感を持っていることもありません。


どちらかと言えば、何かあれば仏式の葬儀をします。お寺で写経や坐禅もします。



でも施餓鬼という言葉を聞いたことがありませんでした。



しかし、この友人達が特殊なのかといえば決してそのようなことはありません。施餓鬼の知名度や参加率はかなり低いのではないでしょうか・・・・




子供に施餓鬼を説明するとすれば




施餓鬼と言うのは「はい、どーぞ。」の気持ちで みんなの心も自分の心もきれいにする行事だよ




と私は説明をします。




この「施餓鬼」は漢字を見ていただきますと分かりやすいと思いますが、餓鬼に施す【ほどこす】と書いてあります。



餓鬼とは満足をすることを知らず、貪り続ける状態のことを言います。



餓鬼とはどこか遠くにいる特別な妖怪ではありません。欲望に振り回される私たちの心の中にもいるのです。



餓鬼に洗米と言って洗ったお米やお水をお供えし供養することで、水一滴・お米一粒でも満足することができるはずの自分の心を見つめ直す法要が施餓鬼なのです。



さて、先ほどから施すと言っていますが、「施」という字は見返りを求めない気持ちも表していますので、見返りを求めず水やお米をお供えするのが施餓鬼という法要の大切な部分なのです。





施餓鬼の由来を少し詳しく説明させていただきます。



施餓鬼の由来は『救苦焔口餓鬼陀羅尼経 ぐくえんくがきだらにきょう』に説かれています。



 お釈迦様の十大弟子の一人阿難尊者がある日、一人静かに坐禅をして修行をしていました。すると、口から火を吹く鬼が現れ「お前は三日以内に死ぬだろう。そして餓鬼道におちて苦しむだろう」と言って消えていってしまったそうです。


突然鬼が見え、しかも「餓鬼道」に落ちると言われて阿難尊者は悩みます。


そこで、お釈迦様に相談しました。


するとお釈迦様は「多くの餓鬼や僧侶に食べ物や水などを供え供養すれば救われる」と言われたのです。



そして、その通りにしたところ阿難尊者は救われたというお話に由来しています。



ですから、今でも施餓鬼には海の物と山の物のお供えをし、水をかけ、お米を供えます。


また先祖のためだけでなく三界萬霊の位牌をたて、『有縁無縁三界萬霊』とすべての霊に供養するとなっています。


自分たちの親・先祖の為だけに供養しているのではなく、それ以外の苦しんでいる餓鬼道の人々にも供養していることが重要なのです。


(続きは次回・・・)
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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