FC2ブログ

咲いた花を素直に楽しむことの大切さ


東光寺(静岡市清水区横砂)の境内にアジサイの花が咲いています。




500アジサイ1906212



先日、このアジサイの花が咲いていることに気がつきました。



500アジサイ190621






思わず、「あ、きれいだなぁ」と感じると同時に


「カタツムリはいないなぁ」とか


「このアジサイを利用して、観音山をもっと人が集まる山にしたい・・・」



などと考えていました。






禅の言葉に

詠花吟月【えいか ぎんげつ】

という言葉があります。




花を詠じ 月に吟ず 【はなを えいじ つきに ぎんず】



と読みます。





直訳すれば


花を見たり月を眺めて詩歌を口ずさむ。


ということになります。



あらゆる四季の風物を愛で、その中に溶け込んで ともに楽しむさま。



と、いった意味があります。





アジサイの花を見たときに


「カタツムリはいないなぁ」

「このアジサイを利用して、観音山をもっと人が集まる山にしたい・・・」


と言った発想は、素直な心ではありません。




「あ、きれいだなぁ」



と素直に感じ 思わず声に出てしまった姿が 詠花吟月 なのかもしれません。

昔話に学ぶこと 【わらしべ長者】

わらしべ長者という昔話があります。

最近になり初めてあらすじを知りました。私はこれまでわらしべ長者の話しは



500右足出して歩くこまめ

1人の貧乏人が最初に持っていたワラを物々交換していき、最後には大金持ちになる話。



500旗もってゴールこまめ

と思っていました。





ですから、“夢のあるおとぎ話”と思っていました。






・・・しかし


わらしべ長者の冒頭部分を知って驚きました。冒頭部分は



昔、ある1人の貧乏な男がいた。

毎日真面目に働いても暮らしが良くならないので、観音様に願をかけたところ、

「初めに触ったものを、大事に持って旅に出なさい」とのお告げをもらった。

男は観音堂から出るやいなや石につまずいて転び、偶然1本のワラに手が触れたので、そのワラを手に取った。





と、あったのです!!





そして、この貧乏な男は持っていたワラやその後交換したものも、欲しいと言ってきた人に迷うことなく渡し、その代わりになるものを差し出されれば迷うことなく受け取っていくのです。





冒頭部分を読んだ後、あらすじを思い出してみると“わらしべ長者”の話しは、仏教・禅の教えを伝えてくれていることに気がつきました。






仏教・禅では「こだわらない」ことを大切にします。


しかし、私達は普段の生活の中で取捨選択をします。


自分の都合の良いものを選んで手に入れ、必要ないものと判断したものを捨てていきます。






しかし、仏教・禅ではこの分別や取捨選択を嫌います。


こだわりのない心で 全てのことを受け止めることで私達は自分の命を生かしきることができると説くのです。




「初めに触ったものを、大事に持って旅に出なさい!」と言われた直後に偶然ゴミ(ワラ)を触ってしまったら・・・


私なら「こんなものはいらないから触っていないことにしよう。」「これは触ったのではなく手に当たったんだ」など理由をつけて“初めに触ったもの”をでっちあげてしまうことでしょう。




結果は明白です。


こだわりのない心でワラを手にすることができた貧乏人は幸せに、

こだわりの心で、取捨選択をしている私は いつまでも変わることなく迷いの世界をウロウロすることになるのです。





自分で判断し行動することは、普段の生活では非常に大切なことです。しかし、全てがそのような場面ではなく、ときには、こだわりの心を捨てて身を任せて生きていくことも大切だと感じます。


これからは、わらしべ長者のような昔話の奥深さを味わっていけるように 様々な昔話の内容を今一度確認して行きたいと考えています。

写経会のときに どんな話しをしているの? その69

500写経会のときに どんな話しをしているの? その69






400年程前に活躍した医者であり科学者だったウィリアムー・ギルバートという方がいます。


磁石と電気について研究を進め、近代科学としての磁気学(と電気学)を開拓した方です。


この方が、世界で初めて地球が巨大な磁石のようなはたきをすることを明らかにした方であり、電気に関する実験を続けられた方です。そんなウィリアムー・ギルバートは著書の中で



このまるい磁石を、私たちは″小地球″と呼ぶ



という言葉を残しています。



地球は磁石であり、小さな磁石は地球と同じなのです。

400年が経ち、今では小学生でも方位磁石についても勉強をし、地球が巨大な磁石のような働きをすることを知っています。







禅の言葉(禅語)に


芥納須弥【芥に須弥を納る:かいに しゅみを いる】


とあります。



 小さな芥子(けし)の粒の中に、仏教世界の中心に高くそびえる須弥山(しゅみせん)を入れる。



と直訳できる言葉です。



 大小や高低などの相対的な比較を断ち切った、自由自在な心を表現する言葉です。






「地球は大きい、磁石は小さい」といった思い込みを捨て去り、自由な発想を信じて突き進んだウィリアムー・ギルバートは、それまでの常識を打ち破り、新しい常識を作り上げました。




“思い込みを捨てる”簡単なことではありませんが、大切なことだと感じます。

白隠禅師とナイチンゲール

通っている大きな市立病院(地域の中では大病院)の看護師さんと話をしました。





看護師さん
「風邪を引いたときに行く地元の病院はどこですか?」


「・・・地元の病院ですか、行った記憶がありません。」

看護師さん
「え!? ここにしか行かない??」


「はい・・・」





そう言われてみると持病以外で病院にかかったことがないことに気がつきました。








そんな会話を看護師さんとしているときに、

近代看護教育の母と言われているナイチンゲールと江戸時代の禅僧である白隠禅師【はくいんぜんじ】の言葉の共通性を思い出しました。


ナイチンゲールの言葉に



「価値のある事業は、ささやかで人知れぬ出発、地道な苦労、少しずつ向上しようとする努力といった風土のうちで、真に発展し、開花する。」





という言葉があります。



ナイチンゲールよりも150年程前に活躍をした白隠禅師が残された書の中に「悳」(徳)という文字と共に書かれた



「いくら金を残しても子孫は使ってしまい、いくら本を残しても読まない。それより人知れず善行を行って徳を積むことが子孫繁栄の方法。」





という言葉があります。




悳 徳

※この言葉は司馬温公の家訓にある言葉です。


ナイチンゲールの言う“価値のある事業”とは看護師として多くの人を救うことであり、その先にあるものは“子孫繁栄”です。

そのためには、ナイチンゲールは「人知れぬ出発、地道な苦労、努力」が必要だと説き、白隠禅師は「人知れず善行を行うこと」が大切だと説いています。





白隠禅師とナイチンゲールは生きた時代も場所も違うので出会うことはありません。
イギリスのナイチンゲールが日本の禅僧が残した言葉を知っていた可能性も高くはありません。





しかし、その言葉には共通性があります。

これは何かを極め、奥深い世界を知ることができた方々が感じた真実であると思うと同時に、「人知れず」努力をすることの大切さを痛感しています。

努力をした人だからこそ 恥を知ることができる

羞識朱線




格闘家の那須川天心氏が


川崎の無差別殺傷事件
本当に悲しい、、あり得ないと思う。
格闘技をやってますが
実際刃物を持った人と遭遇した時に助けに行けるかと言われても行けないと思う。
まだそんな勇気ないし、力もない。
でも助けたい気持ちが大きい
もっと強くならなきゃな
人として。 




と発言されていました。






禅の言葉に「識羞【しきしゅう】」という言葉があります。



羞を識る【はじをしる】と読み、

恥を知ること。羞恥心を持つこと。を意味しています。

道を求めて必死に努力をすることで、自分自身の未熟さに気がつき、恥ずかしさを感じてさらに努力をする力に変えることを説く言葉です。

努力をした人だからこそ 恥を知ることができるのです。







那須川天心氏は格闘家として幼い頃から必死に努力を積み重ね実績も十分にあります。


そんな彼の


「まだそんな勇気ないし、力もない。・・・もっと強くならなきゃな」


という言葉は努力を重ねてきたからこそ出てくる言葉なのだと感じます。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる