衣をみる目を変えさせなければ我々の発展はない



衣をみる目を変えさせなければ我々の発展はない

 衣を着た方が病院へお見舞いに行くと、どうも誰かが死んだのではないかととられる。それでやはり洋服を着て行かざるを得ないとどなたかの話で拝聴したことがありますが、一般の人達は我々の衣に対して、そのような受け取り方をしているということは残念なことです。衣を着たものがはずかしくない社会的行動も、寺院の経営も十分果たせる人材を養っていくことが根本的に必要だと思います。今、世間の人々がお坊さんというものを見る目はどうだろうか。そのみる目を変えていかなければ我々の発展はないと思います。

 




過去の不二 第38号 平成元年10月30日社会の期待に答える人材養成を2




約30年前(平成元年10月発行)の会報【臨済宗青年僧の会が発行する「不二」】に掲載された




黄檗宗管長 奥田行朗猊下の「社会の期待に答える人材養成を」



という記事の中の一文です。





以前、作務着で知人のお見舞いに言って、知人に迷惑がられたことを思い出しながら記事を読みました。



知人に




「坊さんが病院を歩いているだけで縁起が悪そうだよね」




と言われ、




「縁起が悪い事なんかないのに・・・」




としか言えず、しっかりと返す言葉がありませんでした。




「世間の人々がお坊さんというものを見る目はどうだろうか。そのみる目を変えていかなければ我々の発展はないと思います。」




という言葉に出会ったとき、世間を変えるように努力をするのではなく、自分自身が変われることによって世間が変わる。世間が変われば世界が発展していく。つまり、




「まずは自分自身が変わっていく」ということの大切さを改めて感じることができました。

※奥田行朗猊下の「社会の期待に答える人材養成を」はこちら(臨済宗青年僧の会ホームページ)でご覧になっていただけます。



500過去の不二 第38号 平成元年10月30日社会の期待に答える人材養成を


写経会のときに どんな話しをしているの? その53

東光寺(静岡市清水区横砂)で行われている写経会で、副住職(新米和尚)の法話と配布させていただいている絵葉書を紹介させていただきます。


※なぜ、絵葉書と法話(仏教のお話)が登場するのかはこちらをご覧ください。

※写経会の御案内はこちらをご覧ください。



 今回は第53回目です。 



5001写経会 絵葉書作成ファイル 53


般若心経というお経の最後の部分に羯諦【ぎゃてい】という言葉があります。



羯諦の原語は「ガテー」というサンスクリット語で、「行く」という意味の動詞から派生したと言われています。ですから、



「行った者よ」 や 「行く者よ」



と訳すことが多いそうです。ですから、



波羅羯諦【はらぎゃてい】 は 悟りの世界、涅槃の境地へと河を渡り到った



と訳すことができます。



仏教では、真理に目覚めること、輪廻の迷いから智慧の力によって解脱【げだつ】することを悟りと言います。



そして、悟ることを「河を渡る」と例えます。



迷いの岸から悟りの岸へと河を渡るのです。



しかし、この「河」は日本で暮らす私達が想像するような「川」ではありません。



向こう岸が見えないほど幅が広い「河」なのです。



ですから、日本人の感覚で考えると「海」の方が感覚的に似ているとも言われています。



向こう岸が見えない海に向かって一歩を踏み出すにはとても勇気がいるようにも感じます。




東光寺は清水という場所にありますが、清水には海を渡る船があります。



駿河湾を横断する大きなフェリー、そして世界遺産にもなった三保の松原へと渡るフェリーです。



絵葉書の写真は三保の松原へ渡るフェリーに乗ったときに撮影した写真です。



多くのカモメたちが船の近くにやってきたのです。



飛ぶ姿が美しかったため思わず写真を撮りました。



このとき、帽子などをかぶっていたら飛ばされてしまうほど風が大変強かったのですが、カモメたちは自由自在に飛び回っていた姿が印象に残っています。



どんな風が吹いても自分自身の羽を活かして自由に飛ぶ姿は、



私達が産まれたときから備わっている仏心とも表現される尊い仏様のような心を自由自在に働かせ悟りの世界へと渡っていく姿と重なるものがあるように感じます。





極楽は

西にもあれば

東にも

来た道さがせみんな身にあり





という歌に詠まれているように、向こう岸が見えないほど幅が広い「河」の向こうにある悟りの世界ですが、実は「河」は自分の心が作り出したものであり、この「河」を自越えて行くことができるのは自分自身しかいません。




その為には様々な実践があり、この実践を短い言葉で示しているのが臨済宗妙心寺派の生活信条



1日1度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう



ではないのでしょうか。



姿勢を調えて、ゆっくりと呼吸をしながら写経をすることができたとき、自然と心が調ってくると思います。



そして写経会に参加してくださった皆様が。調った心のまま般若心経の最後の部分「波羅羯諦」を書いていただけると信じています。

矛盾する(!?)教え


仏教の教えをまとめた「仏教聖典」の中に





さとりを得ようと思うものは、欲の火を去らなければならない。干し草干し草を背に負う者が野火を見て避けるように、さとりの道を求める者は、必ずこの欲の火から遠ざからなければならない。



500こまめ えいっと押す カラー




という言葉があります。しかし、同じ「仏教聖典」の中には





種はまかれてから、農夫の辛苦と、季節の変化を受けて芽が生じ、ようやく最後に実を結ぶ。さとりを得るのもそのように、戒と心の統一と智慧の三学を修めているうちに次第に煩悩が滅び、執着が離れ、ようやくさとりの時が来るのである。





500こまめ パンチをする 殴る 叩く カラー




という言葉もあります。




「欲を避けなさい」と「煩悩を滅ぼす」という言葉が出てきます・・・




「逃げなさい」と「やっつけろ」と言っているように感じます。




「逃げながら戦うのか!?」と考えてしまうかもしれません。




「どっちかはっきりさせてよ!」と考えてしまうかもしれません。




もちろん、どっちも正解です。





昨日のブログで紹介させていただいた




知人が傷だらけのスマートフォンを持っていたので、


私「スマホの画面が割れてるけど大丈夫?」


知人「大丈夫、これは画面に張った保護フィルムが傷ついただけ!」


とフィルムをはがしました。


割れたフィルムを外したら、割れた画面が出てきました・・・





※記事はこちらです。

という話が、欲を避けることと煩悩を滅ぼすことの両方の大切さを示しているように感じます。

悟りの世界に到達するために欲を避けると同時に、煩悩を滅ぼす必要があるように、スマートフォンの画面を守るためには、保護フィルムを貼り、そもそもフィルムが活躍をするような衝撃を与えないようにすることも大切だと改めて感じました・・・

閻魔大王の怒りと地獄の変化 【その3】 山の竹が教えてくれる地獄と極楽



 閻魔大王の怒りと地獄の変化 【その1】の続きです。
※【その1】はこちらをご覧ください。
※【その2】はこちらをご覧ください。


500P5211730.jpg




子供が飯ごう炊飯に挑戦しています。





500P5211727.jpg




燃料は竹です。





東光寺(静岡市清水区横砂)



が管理する観音山には竹林があります。



残念ながら手入れが行き届かず、うっそうとした竹林になってしまっていました。




この竹林をどうにかしなくてはいけないという苦しみの中から




500竹ろうそくと除夜の鐘1612310012





竹林の竹を使って数年間から12月31日に行う「竹ろうそく」が誕生したのです。




さらに、その際に出た「きれっぱし」が、飯ごう炊飯の燃料となっています。





12月になると街中から「クリスマス」の雰囲気を感じることが多くなります。




しかし、それよりも2週間ほど前に日本だけでなく、世界中の多くのお寺で成道会【じょうどうえ】の法要が行われます。





人々の苦しみの原因に気づき、お悟り開くことを成道といいます。





成道会とは12月8日にお釈迦様がお悟りを開かれた事をお祝いする日です。お釈迦様は、六年間行ってきた苦行を離れ、身体を癒し、菩提樹の木のもとで坐禅に入りました。そして一週間後の朝、明けの明星をご覧になりお悟りを開かれたのです。





実は「仏」と「お釈迦様」は完全に一致するものではありません。


「仏」とは「悟った者」のことを言うため「仏」はお釈迦様だけを示す言葉ではありません。お釈迦様よりも前、そして後にも悟りを開かれた方が多くいらっしゃいます。その全ての方が「仏」なのです。


お釈迦様は悟りを開かれて「仏」となり、「仏」となったお釈迦様が弟子たちに伝えたのが「仏」の教え、仏教です。



つまり、お釈迦様が成道されることがなければ仏教は誕生することもありませんでした。




そしてお釈迦様が出家を決意したきっかけも、若かりしお釈迦様が、城の東西南北の四つの門から外に出掛けようとしたときに、それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを目のあたりにし、出家を決意したと言われています。



(四門出遊)

 お釈迦様が苦しみを体感して出家をした後に修行をされた。

 修行を続け悟りを開き仏となった。

 そしてその教え広がり、多くの方が救われる。多くの方が救われるきっかきになったのが間違いなくお釈迦様の成道であり、このことに感謝する成道会は仏教徒にとって大切な法要なのです。





お釈迦様は出家の際にも「苦」を体験し、さらに修行中も6年間自分自身を苦しめる修行を続けられました。しかし、苦しみ続けるだけの修行ではなく、身体を調え、呼吸を調え、心を調えることに集中されたのです。
そして悟りを開かれたのです。




お釈迦様はこれまでに体験された様々な「苦」があったからこそ、そして心を調えることができたからこそ、悟りの世界にたどり着きました。しかし、仏教徒だからと言ってみんなが悟りを開けると言うことはありません。
様々な「苦」の体験が必要のなってくるはずです。

現実の世界の話しの中では
山の竹をどうにかしなくてはいけないという苦労が「竹ろうそく」と「飯ごうの燃料」など多くの成果となって表れているなど、私達は「苦」を受け入れることの大切さと、その成果を体験してきています。





今後も、成道会のお参りの際には「苦」を感じることの大切さを思い出していこうと思います。

閻魔大王の怒りと地獄の変化 【その2】

閻魔大王の怒りと地獄の変化 【その1】の続きです。
※【その1】はこちらをご覧ください。



5003人の天使




閻魔大王が言っていた3人の天使の話しは



「四門出遊【しもんしゅつゆう】」



と言われる、釈迦様が出家を決意したきっかけにもなった話しに共通する部分があるように思えます。




若かりしお釈迦様が、城の東西南北の四つの門から外に出掛けようとしたときに、それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを目のあたりにし、出家を決意したと言われています。




3人の天使(老人・病人・死者)とも表現される人との出会いによってお釈迦様は悟りの世界への第1歩を踏み出されたのです。




閻魔大王は老人、病人、死者を天使と呼び、お釈迦様は出家を決意された。




だからと言って現代社会において老人を介護施設に預けること、病人を入院させること、死者を葬儀社で葬儀をしたり、お坊さんに任せるすることが全て悪いことだということではありません。




あくまでも



・自分も老いゆくものであり、急いで善をなさなければならないことに気がつかない

・自分も病まなければならない者であることを思わず、あまりにもおろそかにすること

・死を思わず善をなすことを怠ること



が良くないのです。




老・病・死という「苦」を見ない、または見えないふりをすることによって「苦」を受け止めることを止めてしまうことが危険なのです。





歳をとり、病に侵され、亡くなっていく方を全部1人で面倒を見ることは不可能ですし、誰か1人に負担が集中することはおかしなことです。




四門出遊の話しを読んだとき、介護施設、病院、葬儀社、お坊さんなど、多くの方と協力をして行くことが良い事であることは明白です。




お釈迦様が出会ったのは老人、病人、死者だけではありません。修行者(僧)とも出会っているのです。




5004人の天使




僧とはいわゆる「お坊さん」だけを意味する言葉でありません。




インドで古くから「集い」「団体」等を示すのに用いられる言葉でした。互いに高めあう仲間こそが「僧」なのです。




1人で抱え込むのではなく、多くの方と協力をしながら老・病・死と向き合うことこそが四門出遊の話しの中に3人の天使だけでなく「修行者」が登場する理由であるように感じます。




誰かに押し付けるのでもなく、1人で抱え込むのでもなく、みんなで「苦」を受け止めることの大切さを四門出遊は説いているように私は感じます。



そして、お釈迦様が四門出遊をきっかけにして出家をされ、悟りを開かれたように、今を生きる私達も様々な「苦」を受け止めることが、より良く生きるための第1歩になるのではないでしょうか。







(話しが長くなってしまうので続きはまた次回とさせていただきます・・・)

※3話目は山の竹が教えてくれる地獄と極楽
を予定しています。
※1話目は「閻魔大王の怒りと地獄の変化」はこちらをご覧ください。

人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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