FC2ブログ

自分と他人の境界線




500ブログ 自分と他人1

自分とは何か?




500ブログ 自分と他人2

“自分”がいれば“他人”がいる




500ブログ 自分と他人3

私達は自分と他人の間に壁を作り区別することができる。




500ブログ 自分と他人4

自分の周囲に他人がたくさんいれば、“自分”を囲むように壁を作って“自分”を形作る。




500ブログ 自分と他人5

多くの他人に囲まれていれば、自分を守るために壁を厚くしていく。これで自分を守ることができる。




500ブログ 自分と他人6

しかし、一口に他人と言っても、いろいろな他人がいる。子供、父母、兄弟、友人、仲間、親戚・・・・




500ブログ 自分と他人7

「自分と子供は一心同体」と言う人もいる。





500ブログ 自分と他人8

そういった人は“自分”の中に子供がいる。





500ブログ 自分と他人9

“自分”を囲む壁をどこに作るかは、個人個人に任さられている。





500ブログ 自分と他人10

子供と友人の外側に壁を作れば、その内側にいる子供と友人が“自分”だ。






私はこの壁はいくらでも伸び縮みする高性能なゴムのようなものだと考えている。




500ブログ 自分と他人11

様々な経験をすることによって、ゴムを伸ばすように心の壁を広げていくことができる。
子供ができれば、多くの経験や努力が必要になってくる。
その経験や努力によって、心の壁は柔らかくなり子供の外側にまで壁が広がる。





500ブログ 自分と他人12
同様に様々な努力をすることで、心の壁はいくらでも広がっていく。





500ブログ 自分と他人13

広がれば広がるだけ、他人と思っていた多くの人が“自分”になっていく。



妙心寺派の教えである生活信条に

人間の尊さにめざめ 自分の生活も他人の生活も大切にしましょう

と、あります。






自分を大切にすることができる人は、自分と同じように他人を大切にすることができ、

他人を大切にすることができる人は、他人と同じように自分を大切にすることができます。






つまり、全ての人を“自分”と思えるようになることこそが、自分の生活も他人の生活も大切することになります。






そして、そのために私達は何をしなくてはいけないのかが、



わが身をこのまま空なりと観じて、静かに坐りましょう

衆生は本来仏なりと信じて、拝んでゆきましょう

社会を心の花園と念じて、和やかに生きましょう





という妙心寺派の教えである信心のことばだと私は考えています。

盗撮犯逮捕に協力した学生の言葉に感動しました 彼岸【ひがん】

女子高生を助けたい一心で無我夢中で行動したため、恐怖心はなかったです。今まで自分の中に正義感があることを意識していなかったため、今回のことに自分でも驚いています。


盗撮犯逮捕に協力した学生の言葉です。


【記事より抜粋】
電車のホームから改札へ向かう階段のところで女子高校生のスカートの中を盗撮していた男性を発見。女子高校生が「やめてください!」と叫んだと同時に、逃げようとした男性を追いかけ階段を上りきったところで確保し、駅員に通報。駅員の通報により駆けつけた警察官により男性は現行犯逮捕となりました。




逃げようとした男性を追いかけた学生の言葉が「女子高生を助けたい一心・・・今回のことに自分でも驚いています。」だったのです。







私なら、驚きや戸惑いなど様々な感情が入り交じり動くことができたとは思えません。学生さんの行動は素晴らしいものだと感じました。








600仏教豆知識シール11 彼岸


仏教の言葉に彼岸【ひがん】という言葉があります。


彼岸とは「到彼岸(とうひがん)」の略で、悟りの世界(人間完成)に到達することです。お彼岸の期間は悟りの世界に到達するために六つの正しい実践(六波羅蜜)をし、人間完成に向けて修行をする期間と言われています。

と説明することができる言葉です。






しかし、彼岸はどこか遠くにある特別な世界ではありません。





盗撮犯を捕まえた学生さんが「正義感」と表した心も彼岸だと私は感じました。

目の前の人を助けたいという一心で無我夢中で行動できる心が彼岸であったのです。

彼はこれまでの生活の中で築き上げてきた心と目の前で起こった劇的な出来事によって自分自身の「正義感」と表現した彼岸を体験したのではないでしょうか。





もちろん、ずっと彼岸にいられれば良いのですが 私達は悩み苦しみ人間です。



彼岸から普段の生活している場所に帰ってきてしまいます。




では、同じ体験をしないと再び彼岸へと到達できないのでしょうか。



毎日 駅に行って盗撮犯が出てくるのを待たないといけないのでしょうか。



もちろん、そのようなことはありません。





その方法こそが、これまでの記事でも紹介してきた六波羅蜜【ろくはらみつ】なのです。
※六波羅蜜についてまとめた記事はこちらです。







盗撮犯が目の前に来ても、驚きや戸惑いなど様々な感情が入り交じり動くことができない私は、一歩一歩努力を積み重ねていかなくてはならないのです・・・

六波羅蜜【ろくはらみつ】シリーズ その6:智慧

 以前、ある女性が東光寺(静岡市清水区横砂)の山門に入ったところにあるお地蔵様の前で


 「このお地蔵様はこんなに優しいお顔をしていたのですね。」


と言ったのです。






600仏教豆知識シール052 六波羅蜜シリーズ 智慧


仏教の大切な教えに智慧【智慧】があります。



迷いを離れ、物事の心理を正しく観る力を智慧といいます。

 仏教では人は生まれながらに仏様の心を持っていると言われています。この仏様の心が智慧なのです。








実は先ほどの女性はお腹に宿した小さな命を失い様々な辛い体験をされ、お地蔵様にお参りに来ていました。お寺に来たものの



 「本当にこれで良かったのか。」 「1人で来てしまったがそれで良かったのか。」



様々な悩みがあったそうです。ですから、山門から入ってお地蔵様の前を通り本堂内に進んだときにはお地蔵様の姿・顔は見ているのですが「優しい顔」だということには気が付いていませんでした。





 しかし、写経を行い、本堂内での供養をし、お地蔵様の前に来たとき女性はお地蔵様がこんなにも優しいお顔をして見守ってくれていたといことに気が付いたのです。



 そこで、思わず「優しいお顔をしているのですね。」と言葉が出てしまったのです。




 当然のことですがお地蔵様は石でできていますので御顔が物理的な変化をするはずがありません。何かが変わったのだとすれば、それは女性の心です。亡き子を想うあまり、様々な想いに縛られ、自分を責め、周囲の人を責めたりして心の身動きが取れない状態になってしまっていたそうです。しかし、一心にお参りをすることで縛っていたものから少しずつではありますが解放されていったのではないでしょうか。






私は、自分を縛っていたものから解放されたときの心の状態こそが「智慧」なのだと感じています。

六波羅蜜【ろくはらみつ】シリーズ その5:禅定

子供
「和尚さん、心を落ち着けるって 何をされても怒らないことですか?」

僧侶
「うーん。怒るときは怒り、怒らないときは怒らないのが 心が落ち着いていると言うことだよ。」

子供
「え、怒っても心が落ち着いているの?」

僧侶
「そうだよ。でも、怒っちゃいけないときに怒っている人は心が落ち着かない人だよ」





このような内容の会話を聞いたことがあります。







600仏教豆知識シール052 六波羅蜜シリーズ 禅定


仏教の大切な教えに禅定【ぜんじょう】があります。



禅定とは坐禅をして心を落ち着けることです。








仏教では人の心を水面に例えます。水面(心)が落ち着いていれば、周囲の姿をありのままに写すことができ、乱れれば映し出すことはできません。




600【六波羅蜜】禅定

シールの絵を見てみると、ひとりはニコニコしていて、ひとりは怒っています。


しかし大切なのは表情ではありません。


手に持っている桶が震えているかどうかが問題です。


心が落ち着いていれば桶は震えず水面は静かです。


そして、静かな水面にニコニコした顔が映っています。


反対に、心が落ち着かないでいれば 手は怒りに震え その振動が水面に伝わります。


振動した水面は何も映し出すことはできないのです・・・







ですから、ニコニコしているのか怒った表情をしているのかが問題ではないのです。


例え表情が怒っていても 心が調っていれば持っている桶の水面は落ち着きます。すると、その怒った顔もしっかりと写し出されます。


この全てを映し出す桶の姿こそが、心が落ち着ている状態ではないのでしょうか。


六波羅蜜【ろくはらみつ】シリーズ その4:精進

宝くじの一等を狙って当てることはできないけれど

  まじめに働いて努力をすれば 安定したお給料をいただくことはできる





という言葉があります。



一瞬光ることが大切なのではなく

  一瞬光り輝くために努力を続けることが大切だ






という言葉もあります。




600仏教豆知識シール052 六波羅蜜シリーズ 精進


仏教の大切な教えに精進【しょうじん】があります。




 一生懸命に、精をだして励むことを精進といいます。

もともとは、出家し、ひたすら宗教的生活を続けることを精進と言っていました。






私の個人的な考えですが、


精進とは 一生懸命を続けること 


だと考えています。




短い期間だけ一生懸命になることも大切です。


しかし、長く続けることも大切です。





一生懸命を続け、続けているうちに自分が一生懸命していることに気がつかなくなったときこそが「精進」なのではないでしょうか。





もちろん、未熟な私にはできていませんが「一生懸命を続ける」ことを頭の片隅に留めながら生活をしていきたいと考えています。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる