腹の使い


以前、出会った方の中に電車ではできるだけ椅子に座らない方がいました。



座らずに立つことによって体を鍛えるというわけではありません。



本当は席を譲るべき人がいたら、サッと譲りたいのだが躊躇してしまって誰かに席を譲るのが苦手だから、できるだけ座らないようにしているということでした。



確かに席を譲ろうと思っても、すっと立てないことも多くあります。



立ったはいいが、どのように声をかけていいか悩むこともあります。








500仏教豆知識シール260 仏教説話2




仏教の物語の中に「腹の使い」という話があります。




ある国の王様は飢饉によって苦しむ人々のために、これまで国が蓄えてきた穀物を分け与えようとしました。


そして、国中に知らせを出し、「困っているものは城の倉庫まで穀物を取りに来なさい」と呼びかけたのです。



しかし、王様の家来は毎日のように減っていく蓄えがいつかはなくなってしまうのではないかと大変心配になりました。



そして、とうとう王様には内緒で


「困っても穀物を分けることができない」


という知らせを出してしまいました。 さらに、家来たちは困った人が王様に助けを求めたらまた王様は穀物を分けてしまうのではないかと心配になり


「国内の人は王様に面会することはできない」


という知らせまで出してしまいました。そのため本当に困った人達は王様に会ってお願いをすることもできなくなりました。



この状況を見かねたある和尚さんは自分の身分を偽って城へ行きました。家来は和尚さんに言いました。



「お前はどこからやって来たんだ。この国のものなら王様に会うことはできないぞ」



そこで、和尚さんは



「私は腹の使いとしてやってきました」



と答えます。「腹」という国の使者と名乗ったのです。



そのように言われてしまった家来は、しぶしぶ和尚さんを王様に合わせることにしました。そこで和尚さんは国中の人が困っていることを王様に伝えました。王様は穀物を分けていないことを知り大変驚き、家来に命令をして国中の人々を救うことができたそうです。








王様は人々の為に何かできることをしようと思ったのに家来が止めてしまっていたのです。



物語では王様と家来という二人が登場しますが、この二人こそが私たちの心の動きを示す物語であります。




王様の行動は私たちが誰かのために何かをしたいと願う心であり、それに対して家来の行動は良い行いをするのはいいけれども、そこに躊躇してしまう私たちの心を示しているように感じます。




本来であれば、良い行いを堂々とすればいいのですが、どうしてもできないことがあります。
そこで、物語の和尚さんの行動は、ちょっとした発想の変化によって、自分の正しいと信じることを実践することができることを示してくれているように感じます。

ヒマワリの大きさが教えてくれたこと

500大きなヒマワリと小さなヒマワリ




東光寺(静岡市清水区横砂)の境内にある袖師保育園の園児は年中組以上になると毎月坐禅体験にやってきます。



500坐禅の経験とグラグラ指数5

坐禅をしたり、





500坐禅体験1709072

お参りをしたり、




茶礼【されい:お茶を飲んだりお菓子を行儀よく食べる】をしたりして過ごします。





せっかくお寺に来ているので毎回仏教に関係する話をします。





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前のめりで聞いてくれるので、私も力が入ります。






さて、今月は園児が見に行ったヒマワリについて話をしました。






500大きなヒマワリと小さなヒマワリ2

保育園が管理する「子供の畑」に満開になったヒマワリを園児が見に行ったと信じて話を考えました。






話した内容は以下の通りです。




子供の畑に今年はたくさんのヒマワリが咲きました。



でも、よく見ると大きな花が咲いている場所もあるし、小さな花しか咲いていない場所もあります。



どこも同じように種を植え、同じように雨が降り、同じように太陽の光が当たっていました。



でも、大きな花が咲いている場所と小さな花しか咲いていない場所ができてしまいました。



何が違うのか??



観察するとすぐに分かります。



それは土です。



良く耕された場所には大きな花。



耕したつもだが石が混ざって固い土の部分には小さな花しか咲いていません。



土が違うのです。



これは、ヒマワリだけではありません。



どんな植物でも、土によって作物の出来は大きく違ってきます。



では、この大きなヒマワリと小さなヒマワリは私達に何を教えてくれているのでしょうか。



もちろん「しっかり土を耕せ!」ということです。



ここで、土を自分の心だと考えてみましょう。



良く耕された調った畑には大きな花が咲くように、心が耕された状態、つまり調った状態ならば、その心から多くの「良いこと」を受け取ることができるのです。



逆に、耕されていない・耕したつもりでも耕されていなかったり石が混じっているような調っていない畑では、本当は大きな花が咲くはずの種をまいても小さな花しか咲きません。これは、私達の心が調っていない時には得る物が少ないことを表しています。



畑は一生懸命クワなどの道具を使って耕すことができます。



みんなの心も耕して調えることができます。その方法が坐禅やお参り、お家の人や先生の話しをしっかり聞くといった「良い習慣」と呼ばれるものです。



みんなの心に大きな花が咲くように、がんばって過ごしましょう!






このような話をしたところ子供達は「うんうん」とうなずいていてくれたので話の内容が伝わったと信じています。



・・・この話には続きがありますが、それはまた後日。

子供に坐禅会で話したこと 第258番 跋難陀龍王【ばつなんだりゅうおう】


子供坐禅会(平成29年春休み:テーマは涅槃図)で話した内容を紹介させていただきます。今回は

涅槃図シリーズ その16 【跋難陀龍王:ばつなんだりゅうおう】

です。


500仏教豆知識シール258 跋難陀龍王

東光寺(静岡市清水区横砂)子供坐禅会では毎回お寺や仏教に関係する話しをしています。



そして、話の内容にあった「仏教豆知識シール」を参加者に配布しています。



自分自身の備忘録も兼ねて紹介させていただきたいと考えています・・・・


 ※以下の内容は子供向けに話したものです。






お釈迦様が亡くなる時の様子を描いた図を「涅槃図」と言います。 




500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王2

突然ですが、問題です!!




500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王3

バレンタインの次の日、2月15日は何の日ですか?




500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王4

そう、涅槃会です。




2月15日にお釈迦様が亡くなったと言われていますので、その御恩に感謝する法要・お参りを行います。これを涅槃会【ねはんえ】と言います。




500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王5

では、4月8日は何の日ですか?




500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王6

ヒントは仏教に関係あります。




500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王7

さらにヒント!「お花」があります!!





500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王8

そうです、お釈迦様の誕生日をお祝いする「花まつり」です。





花まつりでやることと言えば何でしょうか?




500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王9

ヒントはこちらの写真!




そうです、生まれたばかりのお釈迦様の像に甘茶をかけます。





500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王10
花まつりと言えば




500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王11
「甘茶」です。





では、なぜ甘茶をかけるのでしょうか。





それは、お釈迦様が誕生したときに「甘露の雨」が降ったといわれているからです。




500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王12

甘露とは漢字からも「甘い」ものとわかります。実際には蜜のように甘く、飲むと不老不死になるという伝説の飲み物であり、お釈迦様誕生という素晴らしい出来事に対して天がお祝いをしたと考えられます。





そして、この甘露の雨を降らせたのが、なんと




500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王13

跋難陀龍王【ばつなんだりゅうおう】なのです!!




お釈迦様が誕生したとき甘露の雨を降らせた跋難陀龍王はなんと涅槃図にも描かれています。




500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王14

どこか分かりますか?




500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王15

少し拡大してみます。





東光寺(静岡市清水区横砂)の涅槃図ではお釈迦様の足元の近くにいらっしゃいます。




500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王16

この跋難陀龍王、




お釈迦様の教えを守る八大龍王の一つ。




雲を呼び雨を降らす龍王であり、お釈迦様誕生の時に甘露の雨を降らしてお祝いをしました。




その後も教えを聞き、お釈迦様が亡くなった後も永く仏法を守護した。




とも言われています。





私はお釈迦様の誕生を祝った跋難陀龍王が涅槃図に描かれていることに深い意味を感じます。




跋難陀龍王を描くことで、お釈迦様の教えである



全てはつながっている




という教えを示しているのではないでしょうか。




私たちはどうしても様々なことを分けて考えます。



この方法は非常に便利で、普段の生活では欠かすことができない大切な方法です。



良いことか悪いかことか

価値があるか、ないか

えらいか、えらくないか



一見便利のように感じますが、仏教では



すべてはつながっていて分けることなどできない


と説いています。




子供が生まれる「誕生」と亡くなること。


誕生はめでたいことであり、亡くなることは悲しいこと


分けて考えます。 もちろん間違いでは決してありません。



しかし、誕生から亡くなるまで 当たり前のことですが どこかで人間が入れ替わることはありません。



誕生した人が そのまま生きて、そして亡くなっていくのです。



ひとつの命を生きていきます。



分けることなどできません。



しかし、命を分けることはできないのに、人は様々なことを分けて考えよとするのです。



分けて考えれば、すべてのことがつながっていることを忘れてしまい、失敗をしてしまうかもしれません。


500子供坐禅会 法話 涅槃図  跋難陀龍王17

だからこそ、涅槃図に跋難陀龍王【ばつなんだりゅうおう】を描くことで



命はつながっていることを示し、



さらに、「分けて考えることなどできないんだ、すべては1つなのだ」、このことをこのことを忘れずに 命を大切に生きて行って欲しいとの願いが込められている気がします。

子供に坐禅会で話したこと 第257番 帝釈天

500仏教豆知識シール257 帝釈天






子供坐禅会(平成29年春休み:テーマは涅槃図)で話した内容を紹介させていただきます。今回は

涅槃図シリーズ その15 【帝釈天:たいしゃくてん】

です。



東光寺(静岡市清水区横砂)子供坐禅会では毎回お寺や仏教に関係する話しをしています。



そして、話の内容にあった「仏教豆知識シール」を参加者に配布しています。



自分自身の備忘録も兼ねて紹介させていただきたいと考えています・・・・


 ※以下の内容は子供向けに話したものです。





お釈迦様が亡くなる時の様子を描いた図を「涅槃図」と言います。 


500子供坐禅会 法話 涅槃図  帝釈天1


この中に帝釈天【たいしゃくてん】が描かれています。



500子供坐禅会 法話 涅槃図  帝釈天4

ここです。





500子供坐禅会 法話 涅槃図  帝釈天2
もとは、武器を持って戦う軍神でした。さらに雨を降らして地上に恵みを与える神としても崇拝されていました。



戦いを好んでいたのですが、お釈迦様の教えを聞き、慈悲深くもなったと言われています。




では、この帝釈天が戦った相手は誰かご存知ですか。




500子供坐禅会 法話 涅槃図  帝釈天6

壮絶な戦争を繰り広げた相手こそ・・・
阿修羅【あしゅら】なのです。




阿修羅については先日も話をしたので、覚えているかもしれませんが、闘争的な性格であるため、争いの絶えない世界である修羅道(六道の一つ)の主として、身をおく戦いの神様です。

※阿修羅についてはこちらをご覧ください。




阿修羅との戦いは大変なものだったと言われています。



500子供坐禅会 法話 涅槃図  帝釈天7

しかし、ここで再び涅槃図に注目をしていただきたいのです。




帝釈天はここに描かれ、阿修羅もすぐ近くに描かれているのです。





500子供坐禅会 法話 涅槃図  帝釈天8




戦っていますか。




戦っていませんよね。




なぜ、戦っていないのでしょうか。




仲直りをしたのでしょうか?




この絵からはわかりません。




しかし、仲直りをしたのか しないのか。




そこは関係がないのかもしれません。




お釈迦様が亡くなった場所で大きな戦いをした二人がともに悲しんでいることが大切です。




以前にどんな争いがあったとしても、いつかは分かり合うことがあるのです。



二人が同じ場所で同じように悲しむことで、



自分には悲しむ心があることに気が付き、同時に相手にも同じ心があることを知ることができるのです。




同じ心を持っていることを体験することができれば、例え今はケンカをしている相手であっても、分かり合うことができるはずです。




人は「同じこと」があると安心をします。




例えば、海外へ行ったときに日本人に会うと安心をします。




静岡県から離れて旅行へ行ったときに、静岡で暮らす人に会うと安心をします。




男の子が女の子ばかりの部屋に入ったとします。そこに男の子がいれば安心しませんか。




算数のテストの答えが隣の人と同じのだったとき、答えがあっているかわからなくても安心しませんか。




私たちは、「同じ」だと安心するのです。




だからこそ、




私達は生まれたときから 仏様のような 素晴らしい心を持っていますよ




という仏教の教えを大切にしているのではないでしょうか。




私にも あなたにも 素晴らしい心がある



と感じることができたならば



私の心も あなたの心も 同じ 良い心



と感じることができるのです。





ですから、亡くなったお釈迦様の前で、お釈迦様の教えを思い出したとき帝釈天と阿修羅はの心は静かに落ち着いてくるはずです。




だからこそ、2人は以前の争いを忘れ泣くことができているのではないでしょうか。




涅槃図を見て帝釈天と阿修羅が描かれているのが見えたとき、




心が静かになれば、どんなケンカをした相手でも、相手の心と自分の心が同じだとわかる




と言うことを思い出してください。もちろん心を静かにする方法はたくさんあります。




その1つが、今までやっていた坐禅です。




姿勢を良くして、息をゆっくり吐く。




この呼吸を続けることで心は静かになっていきます。




誰かとケンカしそうになった時にも




ゆっくりと息を吐きながら、「自分の心と相手の心が同じ!!」と考えてみてください。きっとただケンカをするのと少し違う結果になると思いますし、静かな心を取り戻そうとしていることを涅槃図の中の帝釈天と阿修羅も望んでいるのだと思います。

子供に坐禅会で話したこと 第256番  【耆婆:ぎば】


子供坐禅会(平成29年春休み:テーマは涅槃図)で話した内容を紹介させていただきます。今回は

涅槃図シリーズ その14 【耆婆:ぎば】

です。



500仏教豆知識シール256 耆婆




東光寺(静岡市清水区横砂)子供坐禅会では毎回お寺や仏教に関係する話しをしています。



そして、話の内容にあった「仏教豆知識シール」を参加者に配布しています。



自分自身の備忘録も兼ねて紹介させていただきたいと考えています・・・・


 ※以下の内容は子供向けに話したものです。




500子供坐禅会 法話 涅槃図  耆婆 ぎば1

お釈迦様が亡くなる時の様子を描いた図を「涅槃図」と言います。 涅槃図のなかにはお釈迦様が亡くなった訃報を聞いて駆け付けた多くのものが描かれています。




さて、皆さんは病気になったらどこへ行きますか?




「寝ていれば治るよ」と言う人は布団の中へ行くでしょう。




薬がほしい人は薬局に行きます。




それでも治らない、または立っていられないくらいつらい時にはすぐに病院へ行くことになります。




病院へ行くとお医者さんに診てもらうことができます。




その瞬間に病気が治るわけではありませんが、お医者さんに診てもらっているだけでホッとするものです。




では、お釈迦様やお釈迦様の所で修行をしていた人達はどうしていたのでしょうか。




やっぱりお医者さん診てもらっていました。




そして、そのお医者さんが今日のシールにもなっている耆婆【ぎば】です。




シールにあるように耆婆はただのお医者さんではありません。




お釈迦様の主治医であり歴史に残る名医とも言われます。




医師の祖、つまり歴史上もっとも素晴らしいお医者様とも言われ、当時から多くの人に尊敬されていたました。




耆婆自身も仏教を深く信じて信仰し、お釈迦様の教えを聞いていたそうです。



そんな、耆婆が涅槃図には描かれています。




500子供坐禅会 法話 涅槃図  耆婆 ぎば2

ここです!!




お医者さんということで、豆知識シールでは




500子供坐禅会 法話 涅槃図  耆婆 ぎば3

このように描いています。





そんな、耆婆の有名な逸話があります。




お釈迦様の弟子に阿難【あなん】という方がいました。




以前、涅槃図の話しで出てきていますので覚えている人もいるかもしれませんが、




500子供坐禅会 法話 涅槃図  耆婆 ぎば4




阿難はお釈迦様の教えを最もよく聞き、全てを覚えたお弟子様と言われています。お釈迦様の話しが好きで好きでたまらなかったので、お釈迦様が話をしているときに背中を手術されても気がつかなかった人です。




 この手術をしたのが耆婆です。手術をする技術も素晴らしいのですが、患者さんである阿難の特徴をよく知って思いやることができるために実行することができる方法です。





そして、この耆婆が涅槃図に描かれています。これは何を意味するのでしょうか。





どんなに素晴らしい技術や相手のことを思いやる心があったとしても全員の命を救うことはできません。




逆に言えば、誰の命であっても必ず終わる時が来るのです。どんな名医であっても、どんなに素晴らしい薬があったとしても必ず人の肉体は滅びていくこと涅槃図は医者の神様と言ってもよい耆婆を描くことで伝えてくれているのです。





では、必ず死ぬなら適当に過ごしていいのでしょか。勝手に命の長さを変えてしまっていいのでしょうか。




耆婆の逸話に次のような話もあります。




耆婆が若い頃に医者になる為に勉強をしていた時のテストの話しです。




耆婆の先生から、



「10キロ四方の土地を区切り、この土地の中で薬にならない草木があれるか」




と聞かれます。耆婆は草木を調べましたがどれも薬になるものばかりで、薬にならないものは見つかりませんでした。耆婆は




「薬にならないものはありません」




と答えると先生は




「お前は素晴らしい医者だ」




と言って、耆婆に医者の免許を与えたそうです。




この話から分かることがあります。どんな物でも無駄なものはないのです。どんな小さなものでも、どんなに軽い物でも無駄にしてはいけないのです。




え、捨てちゃダメなの??




と思うかもしれません。




え、だったら「ゴミ屋敷」と言ってたまにテレビに出てくる人は素晴らしい人なの??




と、思うかもしれません。




もちろん違います。無駄にしないというのは、「なんでもとっておきなさい」ではもちろんありません。ゴミ屋敷を見ると、使えるものが決して使えません。そこに物を大量に置いてしまうことで、その場所を無駄にしてしまっているのです。草木も、ただそこに生えているだけでは薬になりません。薬にするためには使いこなさなくてはいけないのです。大切なことは、ただ取っておくことではなく活かしきることなのです。




耆婆のような名医でも命を救うことはできない、しかしその命を使い切る、活かしきることの大切さを涅槃図の耆婆は教えてくれているのです。




そして、命を活かしきるためには、物だけでなく時間も大切にして努力をしなくてはいけません。その努力の1つが今日のように坐禅をすること、お参りをすることです。昔から伝わってきた良いこと、そしてたくさんの人達が一生懸命考えた良いことをこれからも実践していってください。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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