FC2ブログ

私は日本刀ではなく、よく切れる包丁やカッターになりたい

500カッターとカッターマット3

愛用のカッターの切れ味が悪くなったので、マットを交換しました。



500カッターとカッターマット2
↑マット





500カッターとカッターマット1
↑拡大したマット。 穴が開いています・・・

ボロボロのマットでは、紙が上手く切れません。





500カッターとカッターマット4

新しいマットに交換すると、切れ味が良くなります。


カッターの切れ味はマットに支えられていることを思い出します。






包丁も同じです。


どんなによく切れる包丁でも、まな板がデコボコでは上手に最後まで食材を一刀両断することはできません。








禅僧の言葉には、名刀が何でもスパッと一刀両断にするように煩悩を初め、ありとあらゆるものを切り裂く力がある。

と聞いたことがあります。






未熟者の私の言葉には当然そのような力はありません。


カッターにはマットが必要で、包丁には まな板が必要なように、私には多くの方の支えが必要です。


私は名刀のように単独で役割を果たすことはできませんが、カッターや包丁のように支えてもらいながら、支えてくださる方と一体となって自分自身の役割を果たすことができるように精進していこうと、マットを交換しながら感じました。

応援者になる!!

ある日、娘(小学生)がいただいた誕生日プレゼントを見て妻が感動していた。

プレゼントをくださったのは、娘の友達のおばあちゃん。娘と友達は大の仲良し。友達のおばあちゃんにもいつもお世話になっております。プレゼントを頂いたことにも驚き、感動しましたが、妻が一番感動したのは“送り主の名前”です





500ブログ 応援団1




○○○○ちゃんへ

11才のお誕生日おめでとうございます。
暑さに負けずに楽しい学校生活を送ってください。

応援者○○○より




※○○○はそれぞれの名前です。





一般的に自分の名前の上に何かを書くとすれば、そこには肩書が来るはずです。






500ブログ 応援団2

この方は御自身の肩書を「応援者」としたのです。
私も妻にこの手紙を見せられたとき、妻と同じように感動をしました。






会長・社長・局長・部長・課長・係長・・・・ 様々な肩書がありますが「応援者」という肩書は初めて見ました。

社長と部長、部長と課長、多くの肩書は、相手との関係に優劣をつけることに役立ちます。

しかし「応援者」は違います。

応援は優劣をつけることなく、相手と一体となる行為です。






優劣をつけてどちらが上かを争うよりも、贈り物をするときくらいは「応援者」と素直に名乗ることができる心を持ちたいと感じました。

自由自在な“あやとり”


禅ことについて書かれた書物を読んでいると“自由”という言葉がよく出てきます。



1つのことに執着せず、物事の自然の成り行きにまかせて、ゆったり無心に、淡々と、自由に生きよ、と禅はわれわれに教えているのだ。




と言った内容をよく見ます。





「自由」 「自由自在」 言葉の響きは素晴らしいのですが、私には具体的な姿が想像できていませんでした。




しかし、ある時

「もしかしたら、これが自由というものかもしれない」

と感じたことがありました。








500あやとり190620




それは、小学生の娘が“あやとり”に夢中になっている姿を見たときのことです。


楽しそうに輪になったひもで遊んでいる姿を見ていると、驚かされます。


1本の紐が自由自在に姿を変えていくのです。


ホウキになったり、カメになったり、茶碗にもなるし、定規にもなる。


しかし、次の瞬間には元の輪になっている。







“ゆったり無心に、淡々と、自由に生きよ、と禅はわれわれに教えているのだ”


自由に生きることは自分勝手に生きることではありません。


私はこの違いを



自由に生きることは もとの場所に帰ることができることであり、

自分勝手に生きることは もとの場所に帰ることができないこと



だと考えています。





自由自在に姿を変えながらも、もとの1つの輪の姿に帰ってくる “あやとり”の姿と“自由に生きる姿”が重なって見えた気がします。

年齢を重ねると頭が高くなる

500P6156913.jpg

身長の関係で妻と子供には電子レンジの上の部分は見えません。




500P6156915.jpg

家族の中で私だけが電子レンジの上の部分が見えます。





私が「あ、ホコリがたまっている!」と言えば

妻が「はい!」と答えて雑巾を渡してくれます。





500P6156916.jpg

感謝しながら掃除をさせてもらっています!






頭が高い【ずがたかい】

頭の下げ方がたりない。礼を欠き、態度が横柄である。








あまり良い言葉ではありません。


しかし、人は様々な経験を重ねることで頭が高くなる傾向にあるように感じます。

困ったことに、頭が高くなると広い範囲が見渡せたり、今まで見えていないところが見えたりもすることもあるので

頭が高い = 全部だめ

という方程式が成り立つわけでもありません。






電子レンジの上のホコリを見つけたときに、 「あ、ホコリがたまっている!掃除しておいてね!!」などと言ったとすれば、私は どんどん“頭が高い”人になっていってしまったと思います。

ホコリを掃除させてもらうことで、頭を高くしなくて済んだように感じるからこそ、雑巾を渡してくれる妻に感謝しています。







人は様々な経験を重ねることで頭が高くなる傾向にありますが、それと同時に、謙虚になるための良い習慣もたくさん先人より学んでいます。

お寺に行けば、合掌礼拝をします。この、合掌礼拝や普段からの挨拶、そして掃除などこそが謙虚になるための良い習慣の1つです。

普段からの生活の中にある良い習慣を見直しながら、“頭が高い”人にならないように努力を続けていこうと心に誓いました・・・・

黄金をさがす者は、すこしの黄金を見つけるのに、多くの土を掘る

500砂金取り1906


昔、金の採掘を行っていた場所が現在では「砂金取り体験」などの観光地になっていることは珍しくありません。


私も挑戦しました。


砂金取り体験は、土の中から砂金を見つけます。

渡されたボールに土を取り、水の中で土を流していくと、ボール1杯の土の中から1粒程度の砂金が出てきます。

もちろん、出てこないことも多々あり、20分ほどの体験で数粒の砂金が見つかります。

砂金を血眼になって砂金を見つけてはしゃいだのが数ヶ月前です・・・







お釈迦様は多くの苦行を6年間重ね、その後 菩提樹の木の下で坐禅をされて悟りを開かれました。

禅宗の最初の和尚様である達磨大師【だるまだいし:ダルマ様】も9年間坐禅を続けられました。


2500年前古代ギリシャの自然哲学者で、「万物は流転する」つまり、「世界はたえず変化し続けていている」の言葉でよく知られているヘラクレイトスは

「黄金をさがす者は、すこしの黄金を見つけるのに、多くの土を掘る」

という言葉を残しています。





お釈迦様や達磨大師など多くの祖師方は、想像をはるかに超えた多くの土を掘ることで、尊い教えという金山を掘り当てたように私は感じます。


そして、その教えが今でも私達を導いてくださっています。


ボール1杯の土から1粒の砂金を見つけて一喜一憂する自分の姿は何だったのだろう・・・

「黄金をさがす者は、すこしの黄金を見つけるのに、多くの土を掘る」

という言葉に問われている気がします。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

最新記事
カテゴリ
検索フォーム
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる