半分青いのか 半分白いのか

 先日、NHK朝の連続テレビ小説「半分、青い」の舞台にもなっている恵那市で結婚披露宴に参加させていただきました。


私は朝の連続テレビ小説を見ないので詳しいことは分かりませんが、家族は見ているので題名や大まかな内容は把握しています。

 せっかくならロケ地などゆかりの地に寄りたいと思ったのですが、時間にゆとりがなかったので観光はできず恵那駅から直接披露宴会場へ向かいました。


 披露宴は暖かな雰囲気の中で進行していきました。


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披露宴も終盤、デザートが出てきました。



美しい青色が特徴的なデザートです。



横から見ると・・・



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下半分が白く、上が青いデザートです。



このことに気がついたとき「半分、青い!!」と喜んでいました。



しかし、テレビをあまり見ていない方やNHKの朝ドラを知らない人は私がなぜ喜んでいるのか分からない様子で、迷うことなくおいしそうにデザートを食べていました。



「恵那はロケ地」という「こだわり」を持たずにデザートを見れば


「半分、白い!!」でも正解です。


「果物のゼリー」でも正解です。


「白プリン」も正解です。


多くの見方ができるはずなのに「半分青いのロケ地」という知識によって私は白いプリンも果物も見失っていたのです。



どんな知識があっても「半分青い」ことだけでなく、白い部分も果物も全てを感じていく心を持ちたいと感じた出来事でした。

おい、扇子にお金を乗せてるぞ!!

有難い御縁をいただき、知人の和尚様の結婚披露宴に参加させていただきました。

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結婚式や披露宴に参加すると自分の結婚式に参列してくれた友人の言葉を思い出します。



その友人は大学の同級生で、お寺とは全く関係のないサラリーマン生活をしています。



サラリーマンの結婚式に仕事仲間が参列することは珍しい事ではありません。



同様に僧侶の結婚式には僧侶が参加します。



そして、僧侶も受付けをします。



受付けで御祝儀を出そうとしていた友人は、その時に見た驚きの光景を興奮気味に私に話してくれました。



「前の人も、その前の人も扇子に御祝儀を乗せて受付けに出していてびっくりしたよ。俺、結婚式にあんまし出たことがないから、そんな習慣があると思ってなかったから困ったよ。」



と言うのです。


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確かに初めて見た人にとっては驚きの光景だったかもしれません。



しかも、自分の前の人が予想外の行動をしていれば不安になるのも無理はありません。



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お寺の習慣では、何か相手に渡すときには「赤いお盆」に乗せて渡すことが丁寧とされています。そして、受け取る側も「赤いお盆」受け取ります。



ですから、お寺など玄関の近くに「赤いお盆」が置いてあることは珍しい事ではありません。



しかし、「赤いお盆」がないときに活躍するのが扇子です。



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僧侶は普段から「赤い扇子」を持つことが多く、この「赤い扇子」を朱扇【しゅせん】と言っていますが、この朱扇がお盆の代わりになるのです。


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少しでも丁寧に相手に渡したいとの思いが形になった習慣だと私は感じています。



ですから、この扇子にお金が乗っている光景を目にしても驚くことなく、「あ、こういう習慣もあるんだな~」と心の中で感じていただければ幸いです。

世界卓球に現れた「チームコリア」に感じる違和感

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先日のブログでは南北朝首脳会談で2人の責任者が共に国境を超える姿に学んだこと書きました。
※詳しくはこちらをご覧ください。



これまでにも様々な問題があり、これからも解決しなければならない問題は多くあるとは思いますが、これまで対立関係にあった2つの国の責任者が手を取り合う姿は決して悪いものではなかったと思います。



しかし、その流れを利用した(!?)違和感のある出来事が遠く離れたスウェーデンの卓球大会で起こりました。



世界卓球団体戦で事件は起こりました。



私は中学校から卓球をしている卓球好きなので日本も参加するこの大会に注目をしていました。日本女子は予選を1位通過し決勝トーナメント進出です。



そして、決勝トーナメントで対戦する相手は「韓国と北朝鮮試合の勝者」のはずでした。



ところが、なんとこの試合は両国が握手をして、実際にプレーをすることなく終わったのです。



しかも、両国が合同チームとなって日本と対戦することになったのです。



スポーツの世界に政治が直接的に影響を与えた世界中探してもなかなか見ることができないできことでしたし、ルールを守ることが前提として行われるスポーツの根幹をも揺るがす事件だったと思います。



禅宗の修行のひとつに坐禅があります。


坐禅は現在多くの方に受け入れられ、一般の方にも実践をされている方が大勢いらっしゃいます。


坐禅を始めた方によく聞かれるのが


「坐禅をすると心を無にすることができるはずなのに、私はいろいろなことが頭に浮かんできてしまいます。これでは坐禅をする意味がない気がしてしまいます・・・」


といった話です。私はこのような質問をされたとき、ある和尚様が分かりやすく答えていらっしゃった言葉を使わせていただいています。



その和尚様は



坐禅は心の掃除です。

掃除をするためには荷物をどかさなければいけません。

しかし、部屋を片付けているときに荷物が届くことがあります、このとき届いた荷物を空けてしまうと掃除が進みません。届いた荷物を開封することなく、いったん部屋の隅においておけば掃除は続けることができます。

坐禅も同じです。静かに坐っていると様々なことが頭に浮かんできます。しかし浮かんできことを発展させなければ良いのです。

「今日の晩御飯は何にしよう」と突然思い浮かんでしまうこともあります。しかし、その時に「カレーにしようかな!?、ラーメンにしようかな!?カレーなら材料はあれかな?」などと発展させてしまえば、心は乱れてしまいます。

「あ、思い浮かんだ」それだけでとどめて置けば良いのです。





と説明をされていました。


大切なことをしているのに、余分なことを発展させてしまうことはもったいないことです。




今回の世界卓球で政治的な良い面を、スポーツの世界に持ち込んだことは、坐禅をしながら晩御飯のメニューを考えるようなものです。



忙しい日々を送る人が時間を割いて坐禅会に参加して帰宅後に



「坐禅をしながら晩御飯のメニューを考えてきたよ」



と料理を出されても違和感を感じるように、必死に努力を重ねた人だけが参加することができる世界的な大会での出来事に違和感を感じてしまいました・・・

見えない線を越える苦労

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先日、訪れた場所の待合室にテレビが置いてあり、そこに南北首脳会談を前に、国境線で北朝鮮の責任者を韓国の責任者が待っているシーンが映し出されていました。


世界が注目していた瞬間を私はたまたまテレビで見ることができました。


2人は握手をして、笑顔で話をした後、あっさりと国境を越えたのです。


北朝鮮から韓国に苦も無く国境を示した石畳を越えたのです。その直後2人で北朝鮮へ、そして再び韓国へと国境を越えたのです。


少し前には北朝鮮の兵士が自国の兵士に打たれながら必死で超えた国境を両国の責任者が手をつないで超える姿に大変驚きましたし、その姿から学ぶことがありました。



仏教では分別【ふんべつ】を嫌います。


物事を分けて考えることは一見便利なように感じますが、区別が行き過ぎれば差別になり、見えない壁に自分自身が苦しむことになるからです。


「あの人は良い人だ、あの人は悪い人だ。」


一度ついてしまった思いを打ち消すことは簡単ではありません。


ましてや国を代表すると言うことは、多くの人の思いを感じながら自分の行動を決定していかなくてはいけないのですから、今回のように両国の責任者が2人で国境を超えることは困難を極めたと思います。



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分別を無くすと言うことは、差別や区別しようとする心を調え、私達が無駄に引いてしまう心の線を消すことです。



人間が引いた国境と言う国と国とを区別する線をなくすことは困難を極めるように、私達の心にある分別の心を無くすことは難しいことです。



お寺には差別や区別する心を調える法要や坐禅などの修行など様々な行【ぎょう】がありますし、各家庭にもご先祖様から受け継いだ素晴らしい習慣があります。


これらの習慣を受け継ぎながら実践していくことで、両国の責任者が国教と言う線を越えた姿から、私達も努力を続けることで自らが引いてしまった心の線を越えることができることを教えてもらった気がします。

特定健康診査のお知らせが

40歳を前に、特定健康診査のお知らせが届きました。


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40歳から74歳の人に特定健康診査を勧める内容でした。



私自身、着実に年を重ねていますので世間では「中年」と言われる年になりました。



しかし、特定健康診査を受診する人の中では「最年少」です。



昔から使われている言葉に



「これからの生きていくあなたの中で、今のあなたが一番若い!」



というものがあります。



確かに、年を重ねる一方ですので今の自分が若いことになります。



同じ人間でも、考え方や比較する相手によって「中年」になったり「若手」になったりすることは私はとても面白いことだと思います。


先日、仏教に関する本を読んでいますと



仏教徒は修行をして悟りをひらき仏陀になろうと努力しています。

仏教では輪廻転生【りんねてんしょう:様々なものに生まれ変わり死に変わるという考え方】とされていますので、人間として生活をしている今の私達が一番仏陀に近い。




といった言葉がありました。



すでに「人」であれば、後は修行をして仏陀になるだけなのです。



「人」でないならば、まずは「人」にならなければいけません。



仏教では「人」として生まれることは、大変にまれ(有ることが難しい)なこととされています。ですから、すでに「人」として生まれていることはありがたい事であり仏陀に一番近い存在なのです。




普段の生活では



同じ人間でも、考え方や比較する相手によって「中年」になったり「若手」になったりすることがありますが、



「これからの生きていくあなたの中で、今のあなたが一番若い!」



と同様に



「人間として生活をしている今の私達が一番仏陀に近い」という言葉も間違いないことだと感じます。

人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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