有難うと言える子になろう

先日、ある男性が


「なんで、この人はいつも幸せそうにニコニコしているのか疑問に感じて自分と何が違うのか観察をしていたら、相手はありがとうとよく言っていることに気がついた。」


と話してくれました・・・



640写経会 絵葉書 28 ありがとう

ありがとう という言葉は仏教の言葉です。



 法句経(お釈迦様の教えを記したとても古いお経)の182に



 人の生(しょう)を

 受くるは難(かた)く

 やがて死すべきものの

 いま生命(いのち)あるは有難(ありがた)し






とあります。 この言葉は



今、ここに自分の「命」があることを実感することの大切さを説く言葉であります。



「命」が誕生することは 大変に難しいこと
  ↓
命が有ることは難しい
  ↓
有ることが難しい
  ↓
有り難う
  ↓
ありがとう






となるのです。




先日、



コンビニで店員に対し「ありがとうございます」 お客が会計後にお礼をするのは常識なのか?





という記事を読みました。 コンビニのレジで会計を済ませた後にお客が「ありがとうございます」と挨拶しなければならないのか、ネット上で議論になっている。と記事には書いてあるのです。





 今回の議論のきっかけは2018年2月10日に出たツイートだ。お店でレジ打ちしていたときに男子高校生が 「ありがとうございます」 と会計後にお礼を言ったところ、その友人が、
  「お前店員にお礼とか恥ずかしい事すんなや」
と言った、というものだ。





と紹介されており、さらに



コンビニなどで買い物をした際に店員に「ありがとう」と


毎回言う人は21.8%、

ほぼ毎回言うは14.0%、

たまに言う24.6%、

あまり言わない15.5%、

全く言わない24.1%だった。







と詳しい人数まで紹介されていました。私は「ありがとう」と必ず言っていますし、言わない人私の周りにはほとんどいない(言わない人を思い出すことができない)ので、がこんなにも多く人が買い物をしたときに「ありがとう」と言わないことに大変驚きました。記事ではさらに




コンビニで働いた経験のある30人に調査したところ、お礼を言われるのは全員が「うれしい」と答えている。






とも紹介しています。




昔から「ありがとう」は魔法の言葉と言われ、裏表のない「ありがとう」は多くの幸せを運んできてくれます。





東光寺(静岡市清水区横砂)の境内にある袖師保育園の保育目標には


・感謝する心を育てる  “ありがとう”がいえる子


というものがあります。

「ありがとう」と素直に言えれば、言った本人が幸せになるのですから“ありがとう”がいえる子 になって欲しいと願っています。
しかし残念ながら、コンビニでの「ありがとう」が議論になるほど、素直に「ありがとう」と言うことは難しいようです。これでは幸せにはなれないように感じます・・・



コンビニでの会計やバスやタクシーの乗り降りのときなど素直に「ありがとう」という言葉を口にできる場所はあるはずです。これが口癖になるまで使い続けることが自分自身が幸せになるための方法なのだと改めて感じています。

目に見えないものが見えたとき

ある研修会での出来事です。



500眼には見えない御恩2

発表者がプロジェクターを使用するためにスクリーンにパソコンの画面を映し出した状態で講演を始められました。



部屋は明るい状態です。



やがて、映像を見やすくするために部屋の照明を落としたとき、私は思わずハッとしました。



部屋が明るいときには投影されている画面はきれいな四角の形をしているように見えていました。



500眼には見えない御恩

しかし、画面を暗くしたとき投影されている画面を見ると、今まで見えていた四角い画面はプロジェクターによって補正されている画面だったのです。



周囲が明るかったために補正された画面だけが見えていたのです。



それが暗くなったことによって、補正される前の暗い画面の中に、補正された明るい画面があることに気がついたのです。




私は周囲が暗くならなければ、プロジェクターが必死になって斜めになっているはずの画面を補正して見やすい画面にしてくれていることに気がつかなかったのです・・・



このことに気がついたとき、


普段から多くの御縁によって支えられ、生かされていることに気がついているつもりで、実は気がついていないのだと改めて実感をすることができた気がします。




物事の本質を見抜くこと、気がつくことを目標に成長をして行かなくてはいけないのですが、



まずは見抜けていないこと、気がついていないことを自覚し謙虚に生きて行かなくてはいけないことをプロジェクターに教えていただきました。

節分の豆まきで感じたこと 【平成30年】

2月3日 日本各地で豆がまかれ鬼が退治されています。



東光寺(静岡市清水区横砂)の境内にある袖師保育園でも毎年「節分」の行事が行われています。




流れは・・・



500節分1802031

1.鬼がやってきて 暴れる




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2.園児は逃げまどいながらも勇気を出して豆(新聞紙で作った安全な物)を鬼に向かって投げる。




500節分1802033

3.暴れた鬼が降参をして、園児達と友達になる





500節分18020362

4.記念撮影をする






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5.笑顔でお別れをする





といったものです。





鬼が登場した途端・・・


ま~、泣き叫びます。


と、いうよりも鬼が来る前からビクビクしています。


朝早くから保育園に行きたがるほど保育園が大好きだった私の娘ですら今でも


「保育園は節分の日だけは行きたくなかった」


と言っています。






しかし、逃げまどう園児と、その後鬼と仲良くなる園児達を見ていて感じたことがあります。



もしも、鬼と仲良くなった園児達の所に、次の日も鬼がやってきたら、園児達はこの日のように泣き叫びながら逃げまどうのでしょうか?



決してそのようなことはないと思います。



笑顔でお別れをすることができる友達(鬼)が次の日も会いに来てくれたら園児達は喜んで友達を迎え入れることでしょう。




500節分1802034

節分の日も、いったん心を許してしまえば、列の中に青鬼がいても気になりません!




鬼の姿をしていても優しい心を持っていることを知ったから友達になった、優しい心の友達が会いに来てくれたら喜ぶと思います。




1日なら喜ぶ。




では、1年後に友達(鬼)が来たらどうなるか・・・




泣き叫びます。





怖い姿をしていても優しい心を持っていることを忘れてしまうのです。




だから怖くなって泣き叫ぶのです。





臨済宗妙心寺派の生活信条には


静かに坐って身と呼吸と心を調えましょう


という言葉があります。



静かに坐る、坐禅をすることで姿勢(身体)を調え、ゆったり呼吸をすることで、心が調ってくる



といったことを示しています。




園児達は坐禅ではなく、節分で豆をまくという劇的な方法、経験によって心が調うからこそ、鬼の見た目に惑わさられず鬼の尊い心に気がつくことができたのです。




しかし、時間が過ぎてしまえば鬼を怖がったことや、豆で退治したこと、そして仲良くなったことも記憶から薄れてきてしまいます。




だからこそ、1年後に出会った鬼を毎年怖がってしまうように感じます。




これは、坐禅をして調っていたはずの心が、日常の生活に戻ったときに乱れてしまうことに似ているように感じます。



ですから、生活信条



静かに坐って身と呼吸と心を調えましょう



の前には



1日1度は



という言葉がついているのです。




1日1度は静かに坐って身と呼吸と心を調えましょう





せっかく去年仲良くなった鬼に今年も怖がりながら立ち向かう園児達の姿を見ながら「1日1度」の大切さを痛感させられた気がします。

誕生日に感じること

先日、39歳の誕生日を迎えることができました!



普段からFacebook【ふぇいすぶっく】というインターネット上での交流場(仮想空間)で、情報交換をしており、自分自身の誕生日を仮想空間上での友人に公開しているため、多くの方に声をかけて頂き、ありがたい気持ちになります。



また、インターネット上ではなく、直接お目にかかったときに声をかけていただいたりしていると、多くのご縁をいただいていることを改めて感じることができた一日だったように感じます。



500リポビタンD1



年を重ねるごとに疲れが取れなくなってきたため栄養剤を飲みことが増えましたが、30代最後の一年も全力で駆け抜けていきたいと思います。





妻からは誕生日のお祝いに栄養剤をもらいました。



500リポビタンD2



年末年始は毎日のように飲んでおり、最近も睡眠時間が足りていない、疲れが抜けないと感じたときには飲むようにしており、助かります。



その数、なんと「39本」



誕生日ケーキに年齢分のロウソクを並べる習慣は知っていましたが、まさか年齢分の栄養剤をいただくようになるとは・・・



せっかく年齢分の栄養剤をもらいましたので記念に並べてみました。



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「39!!」

皆既月食に学ぶこと

平成30年1月31日、皆既月食があると知って天気予報を見ると「曇り」との予測・・・



ハッキリと見ることができないとあきらめていましたが、夜の9時くらいに2階の窓から外を眺めると、青白く光る瓦が目に飛び込んできました。



私はこの晴れた満月の日に見ることができる美しい光景が大好きです。



そして、この光景が見えると言うことは月も見られるはずだと空を見上げると、すでに始まった月食を見ることができました。



見慣れない形に欠けて行く月を見ていたら、なんとか写真に撮ってみたいという気持ちになり撮影を試みました。




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デジカメとインターネット上にあふれる情報の力を借りて撮影を楽しむことができました。




500皆既月食1801312





段々と月食が進み、



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見事に皆既月食を自分の目で見ることができました。
※皆既日食では光の輪ができますが、皆既月食では月が赤く染まります。






小学生の頃に読んだ、マンガ日本の歴史で大昔の人が、月食が起こることを知り、月を隠したり出現できるかのように装って自分の力の大きさを示して人々を支配したということが紹介されていました。




仏教では月を使って人々を支配するのではなく、月を私達が生まれながらにいただいた尊い心に例えます。



月は月食だけでなく雲などにもよって、一時見えなくなることがよくあります。



しかし、必ず再びその姿を見せてくれます。



私は自分自身の尊い心をすぐに見失ってしまい、悩み苦しむことが多くありますが月食の後、再び満月が光り輝くように自分自身の心も光り輝くと信じて精進をしていきたいと思います。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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