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施餓鬼会【せがきえ】とは

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7月の中旬を過ぎると近隣の僧侶同士で


「半分過ぎましたね~」


という会話が多くなります。





お寺の夏の行事と言えば「お盆」「施餓鬼【せがき】」です。




7月から8月にかけて多くのお寺で施餓鬼会【せがきえ】の法要が行われています。




東光寺(静岡市清水区横砂)でも、毎年8月7日は、ご先祖様をはじめ、すべての霊を供養する「山門大施餓鬼会(さんもんだいせがきえ)」を行っています。




東光寺の施餓鬼会には20人程の僧侶が出席してくださいます。



お寺には「お互い様」の文化があり、各お寺の行事にお互いが出席しあう習慣があります。



つまり、「20人程出席してくださる」  と言うことは、私も同じくらいの数のお寺の法要に出席させていただくのです。


ですから、7月から8月にかけて多くの僧侶が


「今日はあそこのお寺の施餓鬼会。明日はあちらの施餓鬼会」


と動いているのです。



ですから、7月の中旬を過ぎると近隣の僧侶同士で「半分過ぎましたね~」という会話が発生するのです。





施餓鬼とは、餓鬼【がき】に施す【ほどこす】と書きます。



餓鬼とは満足をすることを知らず、貪り続ける状態のことを言います。



「餓鬼」というとお腹がポコッと出てひたすら何かを食べ続ける妖怪のような生き物を思い浮かべるかもしれません。



私は僧侶になるまで漫画や挿絵でみる餓鬼という妖怪の姿を思い浮かべていました。



餓鬼とは感謝することも満足することも知らないで、欲望に振り回される者のことです。しかし、餓鬼はどこか遠くにいる特別な妖怪ではありません。欲望に振り回される私たちの心の中にもいるのです。



「施」という字は見返りを求めない気持ちも表していますので、見返りを求めず餓鬼に洗米と言って洗ったお米やお水をお供えし供養すると同時に水一滴・お米一粒でも満足することができるはずの自分の心を見つめ直す法要が施餓鬼会なのです。



自分自身の勉強のために、この施餓鬼会の法要やお唱えするお経についてこのブログで紹介をしていきたいと思います。

開山無相大師と十牛図【まとめ】

500十牛図 まとめ


東光寺(静岡市清水区横砂)は臨済宗妙心寺派のお寺です。


臨済宗は禅宗とも言われる禅の教えを大切にする宗派であり、本山は京都にある妙心寺です。


ですから、禅の教えや妙心寺の最初の住職である開山無相大師【かいさん むそうだいし】の教えを大切にしています。


この禅の教えと無相大師の生涯を説いた「無相大師の禅・十牛図 (則竹秀南老師著)」と出会い、その内容を平成30年春の子供坐禅会で話をさせていただきました。自分自身の備忘録としてその内容をまとめたいと考え記事にさせていただいています。


十牛図【じゅうぎゅうず】とは、本当の自分(仏の心)を見つけるための過程を10の段階に分けて示した禅の書物です。10の段階を1つずつ紹介させていただきますので、気になる項目をクリックしていただければ、各段階を紹介した記事へ移動します。




500仏教豆知識シール 十牛図0

0. 十牛図とは 






500仏教豆知識シール 十牛図1

1. 尋牛(じんぎゅう)






500仏教豆知識シール 十牛図2

2. 見跡(けんぜき/けんせき)






500仏教豆知識シール 十牛図3

3. 見牛(けんぎゅう)その1






500水と塩水

3.2 見牛(けんぎゅう)その2





500仏教豆知識シール 十牛図4

4. 得牛(とくぎゅう)






500仏教豆知識シール 十牛図5

5. 牧牛(ぼくぎゅう)






500仏教豆知識シール 十牛図6

6. 騎牛帰家(きぎゅうきか)







500仏教豆知識シール 十牛図7

7. 忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)






500仏教豆知識シール 十牛図8

8. 人牛倶忘(にんぎゅうくぼう)






500仏教豆知識シール 十牛図9

9. 返本還源(へんぽんげんげん)その1






 500ブログ ごっちん

 9.2 返本還源(へんぽんげんげん)その2





500仏教豆知識シール 十牛図10



10. 入鄽垂手(にってんすいしゅ)

お寺の前の道に動物が死んでいたらどうしますか

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※以下の文章で青文字になっている部分をクリックすると、詳しく書いた記事をご覧いただけます。




皆さんはお寺の前の道で動物が死んでいたらどうしますか。


1. 見て見ぬふりをする

2. 手を合わせる(お参り・供養をする)

3. 行政に連絡し引きとってもらう

4. お寺に供養を依頼する

5. お寺の敷地に運び込み供養するように電話で依頼をする




以前の私は「1」でした。


誰かが何とかしてくれると勝手に信じて、自分は何もしない人間でした。


しかし、先日の記事で紹介した「動物がひかれていたときに、とっさに避ける私とお経を読んだ先輩和尚」の姿を見て自分にもできることがあると感じ、「2」のお経を唱えるようになりました。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1832.html




そして、動物が死んでいるのが、自分の生活圏であれば「3」の行政に連絡し引きとってもらうように依頼をしています。その際自分達でできる範囲の供養「4」をしています。



先日、一本の電話を住職が受けました。


その電話が「5」のお寺の敷地に運び込み供養するように電話で依頼をするものでした。


「お寺の前の道でネコが死んでいたから、保育園とお寺が共用で使っている駐車場の入り口に入れておいたから供養をしてください。」



というお電話だったそうです。この電話の内容を聞いたとき私は「申し訳ないことをした」と感じました。これまでの布教不足のために誤解を生じさせてしまっていると感じました。



そのため、改めて「供養」ということについて考えて見ました。そのことを一度にここに書いてしまうとあまりにも長文になってしまいますので、いくつかの記事に分割して書かせていただきました。





葬儀や法事は何のためにするのかと聞かれれば「大切な人の心を受け取り、その心と共に生きていくことを改めて実感するためです」と答えます。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1835.html




そして、その法要は誰かに任せるものではありません。



葬儀であれば家族が中心になって亡き人を送るように、供養の中心人物はあくまでも「私」です。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1829.html





ですから「お寺で暮らしているから、お前がお経を読んで供養しろ」と人任せにすることは、もったいないというよりも危険な行為です。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1830.html





しかし、供養の方法などが分からないのに、「自分が正しい」と思い込んではいけません。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1827.html




慣れていないならしっかりと教えてもらいながら知っていると人と「一緒」に供養することが大切です。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1834.html





誰かと一緒に供養するはずが、いつの間にか自分が偉そうにする自分勝手な「お客様」になってしまうことがあります。


「俺はお客様なんだから、俺の言った通りにしろ!」とわがままを押し通そうとする今の時代の間違った「お客様」であり、本来のお客様は偉そうにすることではなく、自分の「立場」をまっとうすることです。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1828.html



供養を一緒にするのであれば、いわゆる「良いお客様」になることも大切です。




さらに、供養をしたい、しなくてはならないと感じる尊い心が私達には備わっています。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1833.html




この私達に本来備わっている「尊い心」に素直に従っていけば良いのです。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1831.html




そこに迷っている時間などありません。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1826.html




繰り返し自分の尊い心に従って行動することで、「誰かの為に喜んで何かをしよう」という良い習慣も身につけることこそが自分勝手でも自己中心的でもない「自分の生活も他人の生活も大切にする」という生活なのだと思います。


http://blog.tokozenji.net/blog-entry-1825.html






お寺の前の道で動物が死んでいたらどうしますか・・・



「何とかしなくては!!」という自分自身の心に素直に従って、誰かに丸投げするのではなく、今自分にできる精一杯のことを「させていただく」という謙虚な気持ちを実行することが大切なのではないでしょうか。

閻魔大王の怒りと地獄の変化【まとめ】

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初めて出会った人が、どんな人なのか判断することは難しいものです。




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名札が付いていて、詳しくいろいろなことが書いてあれば分かりやすいのですが、どんな人なのか書いてある名札が付いている人はあまりいません。





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名札に天使だと書いてあれば、





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その人が天使だと気が付けますし、





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名札に悪魔と書いてあれば







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その人が悪魔だと認識できます。







仏教の逸話の中にも「天使」と「悪魔」が登場するのですが、優しくてどんなときでも助けてくれる者が天使だとは限りません。



厳しさや苦しみを教えてくれる者・伝えてくれる者こそが「天使」である





ということを3回に分けて紹介させていただきました。






※御興味のある方は、下記の題名をクリックしてください。



【第1話】閻魔大王の怒りと地獄の変化

【第2話】四門出遊【しもんしゅつゆう】

【第3話】山の竹が教えてくれる地獄と極楽

人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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