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先輩後輩の壁を無くすとどうなるのか

600パンチこまめ


あるテレビ番組で興味深い内容を放送していました。



それは、中堅のお笑い芸人に「先輩に相談することができる」と悩みを聞き出し、その悩みを若手芸人に「後輩芸人の悩みにアドバイスをする企画」と説明し回答をさせるという内容です。



つまり、若手芸人が先輩である中堅のお笑い芸人の悩みに答えることになるのです。



番組では司会者が中堅の悩みと、それに対する若手のアドバイスを読み上げていきます。



アドバイスを聞いた先輩である中堅のお笑い芸人は一様に



「回答はすばらしい」


と内容自体は褒めるのですが


「でも、どうしても受け入れられない」


と言うのです。




先輩に言われれば納得できるが、後輩に言われると納得ができない。



私自身も「なんだか偉そうなことを言っているけど、この人は普段の生活がだらしないから、この人の言うことは聞く気にならない。」と相手によって言葉を選り好みしてしまいますので、この気持ちは本当によくわかります。







禅の言葉に 賓主互換 【ひんじゅごかん】 という言葉があります。



「賓」はお客様を表す言葉であり、「主」はお客様をもてなす主人を意味します。ある時は主人が客の立場になり、またある時は客が主人の立場になる。主客が互いに自由自在に入れ替わることを示す言葉です。



禅語の解説書には

修行によって高い力量を身につけた禅の修行者同士が問答をして、尋ねる者と答える者とが自由自在にその立場を変えること。
と書いてあります。





教師が生徒を教えているつもりでも、教師が生徒に教えられている。

他人を救っているつもりでも実は自分が救われている。




どちらが偉くて、どちらが偉くないと分けて考えるのではなく互いが互いを認め合うからこそ自由自在に立場が入れ替わることができる世界を示す言葉が賓主互換なのです。





“先輩に言われれば納得できるが、後輩に言われると納得ができない”や“この人は普段の生活がだらしないから、この人の言うことは聞く気にならない”という考えは、「俺の方が先輩なんだから偉いんだ」、「俺の方が普段から真面目にやっている。」という自分自身が勝手に作り出した壁によって本当は正しいアドバイスを聞く機会を自ら放棄してしまっています。




賓主互換という言葉は、自分で勝手に作った壁によって苦しむ自分が壁を壊すことで苦しみから脱却するように教えてくれているように感じます。

至道無難、唯嫌揀択【しいどうぶなん ゆいけんけんじゃく】

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困っている人がいるとします。





何とか助けたいと考えても、自分には何もできないと感じると





500ブログ 至道無難唯嫌揀択2

・・・・ついつい困っている人の依頼を断ってしまうこともあるかと思います。








500ブログ 至道無難唯嫌揀択3

「両手で持てる器に大きなものを入れて来い」





と言われると、あれやこれやと悩んでしまいがちです。




器の大きさに合わせて何かを入れるのか!?





器の上に何か大きなものを乗せるのか!?





500ブログ 至道無難唯嫌揀択4



しかし、考え方を少し変化させると


器に水を入れれば・・・


月でも太陽でも入れることができます。







禅の言葉に




至道無難、唯嫌揀択 【しいどうぶなん ゆいけんけんじゃく】





という





「究極の道(悟り)は難しいことではない、ただ選り好みすることを嫌う」ことを意味する言葉があります。





あれや これや と悩む必要などないのです。





ただ迷うことなく、今、自分にできることを精一杯することが大切なのだと教えてくれているように感じます。





困っている人がいたら、まずは手を差し出す





そんな行動が自然にできるようになりたいと常々感じています・・・

賓主互換【ひんじゅごかん】

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子供が坐禅会に参加すると、こんなことになります・・・・



子供が 「叩きたい!!」 と言う。



私は 「しょがない、叩かせてやるか・・・」 と背中を出す。



子供が叩く・・・



案外、痛い・・・・・





叩かれながら 賓主互換【ひんじゅごかん】 という禅の言葉を思い出しました。




ある時は師匠と弟子と言う立場になり、またある時は弟子と師匠と言う立場になる。 お互いが自由自在に入れ替わること。




という意味があります。






心が調えば、心が自由に動き出す、心が自由に動き出せば、お互いが自由自在に入れ替わることができます。







自由に立場が入れ替わるためには、自分だけでなく相手のことを認めて尊重することが大切です。







自由自在に立場を入れ替えることができていない未熟者の私は、「叩いて頂く」ではなく、「叩かせてやるか」などと考えてしまいます・・・・




まだまだ修行が足りないことに気が付き反省しています・・・・・

青空と氷

「夏と冬はどちらが好きか?」と聞かれると、私は「夏です」と答えます・・・・






好き嫌いはダメだと子供には言っておきながら、「夏が好き」と答えてしまいます・・・・







実は私、冬が苦手なのです・・・・






思い通りに自分の体を動かすことが難しくなる寒い季節が苦手なのです・・・・・





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ある朝、「寒い、寒い」とぼやきながら外に出ると静岡では珍しいくらい厚い氷がはっていました。





氷を見て 「は~、やっぱり寒い・・・」 と愚痴をこぼしながら、室内に戻ってホッカイロでも貼ろうと考え振り返ると




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そこには、雲一つない青空が広がっていて驚きました。 寒いはずなのに 青空を見て 「お、暖かい」 と感じてしまいました。






 仏教(禅)の言葉に





 心外無法 【しんげむほう】






 という言葉があります。 





 全ての存在は心のはたらきによって現れる。 つまり心を離れて存在するものは何もない。






 という意味です。





 未熟な私の心は 冷たい氷を見て落ち込み、透き通った青空を見て晴れやかになります。





 グラグラと揺れる私の心は まだまだ未熟なのです。






 未熟な私に必要なものは、体に貼るホッカイロよりも、常に動じることなく暖かな気持ちでいられる「心」なのだと青空に教えられた気がします。

お任せの心は 仏様の心

 私は30歳になるまで 代参【だいさん】 という言葉を知りませんでした。





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代参 とは 本人の代わりに神社・仏閣へ参詣する ことを意味する言葉です。







 私は1年に1回だけ、この「代参」の対応をします。







 親戚のお寺のお手伝いで代参者の方と接する機会があるのです。








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代参者は地域の代表として 御参りをして、「火之要慎(火の用心)」の御札を必要な枚数持ち帰ります。




 地区の大きさなどによって様々ですが、10数件分~100件分以上などお持ちになります。





 代参者は御札を地域に持ち帰ると、各家々に届けたり、その地域での火祭りで配ったりするそうです。






 ほとんどの地域で「代参者」は当番制をとっており、





 「10年ぶりに来たよ~」





 などと久しぶりに御参りに来たことを懐かしむ方は少なくありません。









禅の言葉(禅語)に




 安心立命【あんじんりつみょう】 という言葉があります。




 心を安らかにして(仏様に)身をまかせることを意味します。







 「代参」という制度は まさに 安心立命【あんじんりつみょう】 の世界だと感じます。







 地元で待つ人が当番としてお参りに行った人に 「 全てを任せる 」 ことができるということが尊いことだと思います。






 地元の人が「代参者」に御参りをお任せできるのは






 地元の為にみんなを代表して御参りに行ってくれる人を信じることができるためであり、






 信じきることができるのは、自分もしっかりやってきたのだから他の人もしっかり御参りするだろうという信頼があってのことだと思います。







 「任せる」 ことは 「自分を律する」 ことである






 代参は、その実践の場の1つなのだと実感しています。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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