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餓鬼の喉を広げる!


500餓鬼 こまめ


先日のブログで


あの旗にはなんて書いてあるんですか?? 【施餓鬼】


と題して、施餓鬼会で掛けられている旗を紹介させていただきました。



500施餓鬼 旗1807203




施餓鬼の由来になった救苦焔口餓鬼陀羅尼経【ぐくえんくがきだらにきょう】に


「清らかな器の中に清らかな水を入れ、重湯や餅、飯などを少しばかりその中に入れて
4人の仏様(多宝如来【たほうにょらい】、妙色身如来【にょうしきしんにょらい】、広博身如来【こうはくしんにょらい】、離怖畏如来【りふいにょらい】)の名前を唱えなさい。」



と書いてあり、その仏様の名前が旗にかいてあります。



と紹介をしました。※記事はこちらです。



このお経には、この4人の仏様の名前を唱えると何が起こるのかも書いてあります。





多宝如来【たほうにょらい】
積み重ねてきた物惜しみの悪業を打ち破り、罪障を消滅させる


妙色身如来【にょうしきしんにょらい】
餓鬼の醜く卑しい悪しき姿を打ち破ることで、そのまま仏のような美しい姿を完全に具えることになる


広博身如来【こうはくしんにょらい】
餓鬼の喉を広げて、施した食べ物を食べさせ満腹にさせることができる。


離怖畏如来【りふいにょらい】
畏れ【おそれ】を取り除き、餓鬼の世界から離れることができる。





とあるのです。



このことを知ったとき、広博身如来【こうはくしんにょらい】餓鬼の喉を広げて、施した食べ物を食べさせ満腹にさせることができる。



という部分が印象に残ったことを覚えています。




餓鬼がなぜ、食べ物を食べられないのか!?



これまで考えたこともありませんでした。



しかし、お経には餓鬼の姿もしっかりと記さされているのです。




やせ細り、衰え、

憔悴しきって極めて醜く

口の中で火が燃え、

喉が針先のようで、

頭髪が乱れ、

爪と歯が長く鋭い






と書いてあるのです。




喉が細いと言うことは、今の私の姿そのものだと感じます。



食べ物を食べるための喉ではありません。



餓鬼の喉は「教えを受け入れる心の道」だと私は考えています。



我以外皆我師【我以外 みな 我が師】



という言葉にあるように、本来であれば自分以外から大いに学ぶことはたくさんあるはずです。



しかし、私はついつい師匠を選り好みしてしまいます。



「あの人は実績があるから 言っていることは正しいだろう」


「あの人は たいした仕事をしていないから どうせ言っていることは間違っている」



などと、分別をしてしまっています。



この自分の都合に合わせて いろいろと選り好みする姿こそが 喉の細い餓鬼の姿だと感じます。





しかし、喉を広げて、施した食べ物を食べさせ満腹にさせることができるように、「教えを受け入れる心の道」も広げることができると信じています。

あの旗にはなんて書いてあるんですか?? 【施餓鬼】

500施餓鬼 旗1807203


「あの旗にはなんて書いてあるんですか??」



と、施餓鬼【せがき】の法要に初めて参加される方に聞かれることがあります。
※施餓鬼について詳しくはこちらをご覧ください。



500施餓鬼 旗1807201


確かに見慣れない旗がかかっています。



500施餓鬼 旗1807202




しかも漢字が書いてある。




無病息災、諸縁吉利、心願成就




などの言葉なら、普段は使わなくても漢字を見れば何となく意味が分かります。




しかし、これらの漢字はあまりになじみがないかもしれません。




実は、施餓鬼の由来となっているは




救苦焔口餓鬼陀羅尼経【ぐくえんくがきだらにきょう】というお経です
※由来についてはこちらをご覧ください。



短く、強引にまとめると、施餓鬼は



欲張る心・むさぼる心を表す餓鬼【がき】に食べ物などをお供えする法要です。





そして、お供えすることで自分自身の中にある餓鬼の心と向き合う法要なのです。



そして、気になる旗には仏様の名前が書いてあるのです。




それが、

多宝如来【たほうにょらい】

妙色身如来【にょうしきしんにょらい】

広博身如来【こうはくしんにょらい】

離怖畏如来【りふいにょらい】






です。





それぞれの最初に書いてある「南無【なむ】」は尊敬する、敬う、大切にする、帰依するなどの意味がある言葉です。



ですから、「南無多宝如来」であれば



多宝如来に帰依いたします。多宝如来を大切に拝みます



といった意味になるのです。



なぜ、この4人の仏様の名前が書いてあるのかと言えば、



施餓鬼の由来になった救苦焔口餓鬼陀羅尼経【ぐくえんくがきだらにきょう】に次のような教えがあるからです。




仏は阿難に言われた

「阿難よ、もしこの食べ物を施す作法を実施しようとするならば


清らかな器の中に清らかな水を入れ、重湯や餅、飯などを少しばかりその中に入れて


4人の仏様(多宝如来【たほうにょらい】、妙色身如来【にょうしきしんにょらい】、広博身如来【こうはくしんにょらい】、離怖畏如来【りふいにょらい】)の名前を唱えなさい。






この4人の仏様の名前は、施餓鬼の法要中にお唱えする開甘露門【かいかんろもん】というお経の中にも出てきますので、法要に参加しお経をお唱えしたことがある方には目にしたことがあるのではないでしょうか。



施餓鬼の法要では施餓鬼棚【せがきだな】と呼ばれている棚に水や食べ物をお供えします。



そして、その周囲には4人の仏様の名前が書かれた旗を立てるのです。



この姿こそが、仏様が阿難に伝えた



清らかな器の中に清らかな水を入れ、重湯や餅、飯などを少しばかりその中に入れ4人の仏様の名前を唱えなさい。



という教え、そのものなのだと私は考えています。



施餓鬼の法要に参加したとき、揺らめく旗を見たときには



「この旗には仏様の名前が書いてあるんだ!」



と感じて、法要中などに仏様のお名前を唱えていただければ幸いです。

山盛りのご飯のお供え物 【施餓鬼】

500山盛りのご飯


食事に行ったとき山盛りのご飯が出てきました。


ふんわりと盛ってあるわけではありません。


ギューと固めに盛り付けてくれています・・・



お腹いっぱいいただきました。





この山盛りのご飯を見たとき、施餓鬼【せがき】のお供え物を思い出しました。
※施餓鬼について詳しくはこちらをご覧ください。




施餓鬼の法要を行う際、中央に山盛りのご飯をお供えします。



500施餓鬼棚180719



餓鬼飯【がきめし】と呼ぶこともあります。




500施餓鬼棚1807192



なぜ山盛りのご飯がお供えされているのか。



実は、施餓鬼の由来となっているは



救苦焔口餓鬼陀羅尼経【ぐくえんくがきだらにきょう】というお経です




 お釈迦様の十大弟子の一人阿難尊者【あなんそんじゃ】がある日、一人静かに坐禅をして修行をしていました。

すると、鬼が現れ


「お前は三日以内に死ぬだろう。そして餓鬼道におちて苦しむだろう」


と言って消えていってしまったそうです。


突然鬼が見え、しかも「餓鬼道」に落ちると言われて阿難尊者は悩み、お釈迦様に相談しました。


するとお釈迦様は「多くの餓鬼や僧侶に食べ物や水などを供え供養すれば救われる」と言われたのです。そして、その通りにしたところ阿難尊者は長生きできたというお話に由来しています。






このお経の中にお釈迦様が弟子の阿難に次ように伝えたと書かれています。




阿難よ、もし、婆羅門と仙人に食べものを施そうとするならば、必ず飲食を鉢の中いっぱいに盛り、この陀羅尼【だらに】を誦えよ。

この飲食に七遍呪文をかけ、流水の中に注ぐならば、数限りない婆羅門【ばらもん】と諸々の仙人たちに、天上世界にあるような飲食を十分に献上したことになろう。


その婆羅門や仙人たちは、この食べものを食べ終わったならば、眼・耳・鼻・舌・身の五根の不具合がなくなり、何ひとつ欠けることなく安らいで、各々その願いを発して、食べものを施した人を次のように讃歎するであろう、


「私たちに食べものを施してくれたその人が、心、清浄になって、速やかに梵天の威厳と徳を証り、常に浄らかな行ないを修めて、数限りない如来に供養する功徳を完全に成就し、修行を邪魔するような諸々の敵に対して常に勝ることができますように」









私はこの言葉に触れたとき 「流水の中に注ぐ」という部分が気になりました。



お供えしたご飯を流してしまう・・・



一見すると食べ物を無駄にしているように感じます。



しかし、「流水の中に注ぐ」は実際に水の中に流すことが大切なのではなく、



・お供え物は法要が終わったら自分のものになる

・あのご飯をお腹いっぱい食べてやろう! チャーハンにでもしようかな、おにぎりにしようかな、とりあえず小分けにして冷凍かな・・・



といった自分勝手な気持ちを忘れなさい、捨てなさい。と説いてくださっているように感じます。



「自分のもの」、「私のもの」だという思いが、満足を知らない餓鬼の心を生み出してしまうのです。




私自身もついつい、様々な法要の際にお供え物を選ぶとき亡くなった方の好きなものや、亡くなった方に喜んでもらえるものを選ぶのではなく、自分達が好きなものを選んでしまったり、後々使い勝手の良い物を選んでしまったりします。




しかし、お供え物をするときに大切なのは「流水の中に注ぐ」がごとく、「自分こと」、「私のこと」を忘れて誰かのために、今自分ができることを精一杯にさせていただくことなのだと、山盛りのご飯や様々なお供え物を見るたびに思い出します。

なに そのお経!? 変じゃない? 【施餓鬼での開甘露門の唱え方】

500施餓鬼180718



結婚したばかりの頃、施餓鬼会【せがきえ】に向けてお経の練習をしている声を聞いて妻が


「さっきから オウオウ エーエー ウーウー って うなっているけど大丈夫?」


と私に言ったことがありました。




施餓鬼会【せがきえ】とい法要では開甘露門【かいかんろもん】というお経をお唱えします。


※施餓鬼会とは自分の心を見つめ直す法要です。詳しくはこちらの記事をご覧ください。
※施餓鬼の由来についてこちらをご覧ください。





この施餓鬼会では開甘露門(直訳すると「悟りの境界に入る門を開くお経」)というお経をお唱えします。

※以前「施餓鬼と 開甘露門  甘露の門を開くのは 南無の心!!」とブログで紹介しています。記事はこちらです。





施餓鬼会ではこの開甘露門を独特の唱え方をします。



それほど長いお経ではないのですが、一節ごとに区切り丁寧にお唱えします。


3回繰り返す部分があったり、2回繰り返す部分があったり、また妻に「ウーウー って うなっているけど」と言われたように独特の節回しで唱える部分があったりします。



もちろん、その時の流れで回数が変わったりすることはなく、決められた回数、決められた節回しがありますので多くの僧侶と共にお唱えしてもずれることはありません。



しかし、この開甘露門をお唱えするときに一か所だけ繰り返す回数が決まっていない部分があるのです。



それが南無三曼多 没駄喃梵 【なむさまんだー ほどなんばん】という部分です。



その他の箇所は繰り返す回数が決まっているのにも関わらず、ここだけは回数ではなく「動作」で決まっているのです。



法要の中心となる和尚様(導師【どうし】)が読経中に焼香などに進みます。その和尚様が席に戻るまで他の和尚様方は南無三曼多 没駄喃梵 【なむさまんだー ほどなんばん】と繰り返し唱え続けるのです。



なぜ、この部分で導師が前に進むのか理由を私は知りません。



しかし、南無三曼多 没駄喃梵 【なむさまんだー ほどなんばん】には



あまねく諸仏に帰命いたします



という意味があります。ありとあらゆる仏様を身命を投げ出して信じることを誓う言葉なのです。




この言葉の意味を知ったとき、回数を決めずに、何度も何度もお唱えするというよりも、あえて回数を決めることができないのではないかと感じました。



施餓鬼の法要中によく聞いていると南無三曼多 没駄喃梵 【なむさまんだー ほどなんばん】と繰り返しお唱えしていることに気が付くかもしれません。



その際には、ぜひ一緒に南無三曼多 没駄喃梵とお唱えして頂ければ幸いです。

施餓鬼【せがき】とお盆

夏になると「お盆」という言葉をよく聞くのではないでしょうか。


さらに、仏教やお寺に興味がある方が施餓鬼【せがき】という言葉もよく聞くと思います。



お盆と施餓鬼には違いと共通する部分があります。




夏の同じような行事と思われがちですが、実は由来が異なります。



500お盆 棚経




お盆の由来

お盆とは盂蘭盆経【うらぼんきょう】というお経に由来する行事です。このお経によれば、

お釈迦様の御弟子様であった目連尊者は亡くなった母のことが気になり、神通力で母を観察・探したそうです。すると母が餓鬼の世界に堕ち苦しんでいるのを発見しました。

目連尊者はお釈迦様に母を救う方法を尋ねました。

そして、お釈迦様の教えに従って7月15日、僧侶達が総懺悔の行をするに当たり、食物などの布施をしたところ、その功徳で母親は救われたといいます。

 このようなお話が元になって、日本に昔からある習慣と仏教の教えが合わさり御先祖様をお迎えしお参りする現在のお盆になったそうです。







500浜施餓鬼150816



施餓鬼の由来

施餓鬼の由来は救苦焔口餓鬼陀羅尼経【ぐくえんくがきだらにきょう】に説かれています。

 お釈迦様の十大弟子の一人阿難尊者がある日、一人静かに坐禅をして修行をしていました。すると、口から火を吹く鬼が現れ「お前は三日以内に死ぬだろう。そして餓鬼道におちて苦しむだろう」と言って消えていってしまったそうです。

突然鬼が見え、しかも「餓鬼道」に落ちると言われて阿難尊者は悩み、お釈迦様に相談しました。

するとお釈迦様は「多くの餓鬼や僧侶に食べ物や水などを供え供養すれば救われる」と言われたのです。そして、その通りにしたところ阿難尊者は長生きできたというお話に由来しています。

ですから、今でも施餓鬼会には海の物と山の物、お米、水などを供えます。また先祖のためだけでなく三界萬霊【さんがいばんれい】の位牌をたて、『有縁無縁三界萬霊』とすべての霊に供養します。自分たちの親・先祖の為だけに供養しているのではなく、それ以外の苦しんでいる餓鬼道の人々にも供養しているのです。








お盆と施餓鬼の共通点は「布施【ふせ】」


お盆の由来では「僧侶達が総懺悔の行をするに当たり、食物などの布施をしたところ、その功徳で母親は救われた」

施餓鬼の由来では「多くの餓鬼や僧侶に食べ物や水などを供え供養すれば救われる」

と説かれています。


見返りを求めず自分にできることを誰かの為に行うことを布施と言います。


お盆と施餓鬼、由来は違えど布施の心を説いています。






脳科学者の中野信子さんは著書の 脳科学からみた「祈り」 の中で

前向きな祈り 後ろ向きな祈り 

という言葉で、誰かの為に行う「布施」の心を説明してくださっています。




他人の不幸や自分だけの幸せを願う「後ろ向きな祈り」では、脳がコルチゾールというストレス物質を分泌します。


この物質は人間の脳の中でも中心的な役割をもつ「海馬」を委縮させえてしまい、自分自身にも悪影響を及ぼす。
としています。


これは、自分自身の欲望によって人が餓鬼道に落ちていく様子によく似ています。





それに対して、自分だけでなく他人の幸福をも願うことを「前向きな祈り」とし、人は前向きな祈りをすることで、脳がドーパミンやオキシトシンといった多幸感や快感をもたらす物質を分泌します。


さらにこれらの物質の中には脳を活性化したり、記憶力の高まり、さらには体の免疫力を高めたりするものもある。
としています。


これは、「多くの餓鬼や僧侶に食べ物や水などを供え供養すれば餓鬼道に落ちることなく救われる」とした施餓鬼や
「食物などの布施をしたところ、その功徳で母親は救われた」お盆の話しを科学的に説明してくれているように感じます。





由来に違いはありますが、施餓鬼とお盆には布施の心という大切な共通点があります。



お盆のお参りのとき、施餓鬼の法要に参加されたとき、それぞれの由来の違いを思い出しながらも静かに手を合わせ、自分自身の中にある布施の心と向き合うことが夏の習慣になることを願っています。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、30代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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