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寺嫁まめこのひとこと通信 VOL11 【だるま伝説!!!】



 結婚するまで(結婚後もしばらく)お寺で生活をしたことがなかった妻が、実際にお寺で体験し学んだことを伝えるために不定期で檀信徒の皆様に発行している「お便り」である、寺嫁まめこのひとこと通信 がいろいろあって、改装されました。




今回の題名は



~だるま伝説!!!そのごく一部をご紹介。~




です。




500寺嫁まめこのひとこと通信11号

※写真をクリックすると、大きな図で表示されます。
※PDFファイルでご覧いただける環境の方はこちらをクリックしてください。



 東光寺(静岡市清水区横砂)では少しでもお寺のことや仏教のことを多く方に知っていただきたいと、


東光寺ホームページ

・ブログ(新米和尚の仏教とお寺紹介寺嫁がみつけたゴキゲンの種)、

・お便り、本山関係の冊子、

・法話




など様々な方法で紹介をさせていただいています。





その中の1つに寺嫁まめこのひとこと通信があります。 




発行依頼、東光寺から配布されるものの中で最も「楽しみにしています」と言われるのが、この「寺嫁まめこのひとこと通信」です。
※過去の「寺嫁まめこのひとこと通信」はこちらでご覧になれます。




御興味のある方はぜひ御一読ください。

信仰は形からなのか!?

500合掌160126


信仰とは 行動にともなって自然と身につくもの。だから信じなくてもまずは祈ることが大切だ。



という言葉を聞いたことがあります。信仰を辞書で調べれば



無垢(むく)な心で神仏を信頼し崇拝すること。



と書いてあります。






先日の記事で


予想外の苦しみなどに出会ったときに必要なのは心の拠り所であり、これは信仰心や信じる心です。


と書きました。
※記事はこちらです。






では、この信仰心はどこにあり、どのように形成されるものなのでしょうか。


辞書には“信仰心は仏を信頼すること”とあります。


では仏はどこにいるのか?


禅宗では“自分が仏である”とし、そのことを自覚することの大切さを説いています。







臨済宗相国寺派管長の有馬頼底師の著書の中に



禅宗では「一掃除。二信心」と申します。お経を読むより、まず掃除をしろということです。

それはなぜかと言えば、掃除そのものが功徳だからです。掃除即仏法なのです。

仏法というのは、なにも特別なことではありません。

掃除をすることが、すなわち仏さまの教えなのであります。






という言葉があります。


特別なことではなく、目の前にあることに一生懸命取り組むことで“信心”が起こる。つまり自分が仏であると自覚することができるのです。





冒頭の


信仰とは 行動にともなって自然と身につくもの


という言葉は




ただ漠然と「私の中にも仏の心がある」と思い込むのではなく、”行動” 特別な修行ではなく掃除・挨拶・合掌など身近な良い習慣を実践することで苦しんだときに必要な心の拠り所を見つけることができることを教えてくれているようにも感じます。

本当の姿が見えていない


先日、“米村でんじろうのふしぎな実験室”と題した、科学の体験イベントが地元で行われていることを知り、小学生の子供を連れて行ってきました。


興味深い展示や体験できるコーナーが多くあり、かなり楽しませていただきました。




このイベントの入り口にあった1枚の絵も印象に残っています。



500眼には見えない絵1




某有名テーマパークにも同じ原理を使った展示物がありますが・・・


何もせずに写真を撮ると


でんじろう先生だけが写ります。


もちろん、肉眼で見ているときも、この写真のように見えます。






しかし、フラッシュを使って撮影をすると・・・



見えていなかった多くの絵が写っています。



500眼には見えない絵2




仏教では私達は生まれながらに仏様のような尊い心を頂いていると説いています。


自分自身が仏であり、目の前にいる人・隣にいる人、誰もが仏様なのです。


しかし、そのことに気がつかないで生活をしてしまっています。






このことは、先ほどのフラッシュを使うことで本当は描かれていた絵が撮影できることによく似ているように感じます。

先ほどの絵で言えば、フラッシュを使わなくては見えない部分が、生まれながらにいただいている尊い心だと私は感じました。

すでに描かれている絵と、すでに頂いている尊い心、普段の生活では見ることができない絵も強い光を当てることで奥底にあったものが浮かび上がってきます。


同様に、すでに頂いている尊い心を浮かび上がらせるためにも“光”が必要です。


では、この“光”はどこにあるのでしょうか。


このフラッシュのような強力な光こそが、これまで守り伝えられてきた仏教の教え(法)だと私は考えています。
仏教の教えによって自分自身の奥底にある仏様の心を浮かび上がらせることの大切さを、1枚の絵に教えてもらったように感じます。

扉が閉まって見えたもの! 190712


良く訪れる場所に、ある扉がありました。


その扉は、これまで何度となく見てきた扉です。


これまで見てきたときは いつも扉は開いていました。




500P_20190710_154427.jpg

写真はその扉の一部です。





先日、この扉の前に立つと扉は驚きの表情を見せてくれていました。


いつもは開いている扉が・・・閉まっていたのです。


開いているところしか見てこなかったので、扉が閉まっていることに驚きました。


そして一番驚いたことは、扉が閉まったことで扉の新たな姿を見ることができたことです。






500光を通すためには 自分をきれいにするしかない

実は、色などあまり感じていなかった扉の一部に美しい装飾がされていたのです。



普段、扉が開いているときは装飾部分が壁と接触するため見えづらかったのですが、扉を閉めることで、向こう側の光が透過してきたのです。



その美しい姿に思わず見とれていました。



扉にはもともと美しい装飾があったのです。






でも、そのことには気づいていませんでした。

私達人間も、もともと美しい心をいただいています。
でも、そのことには気がつけないものです。

今回、扉の美しい姿を見ることができたのは「扉が美しい装飾を維持し続着たこと」・「扉の位置がいつもと違っていた。」ことなどが考えられます。

私達も自分自身の美しい心を感じるためには、「美しい心を維持する」・「自分自身の立ち位置を少し変えて周囲を見てみる」事なども有効なのかもしれません・・・

お寺だから話せること 【写経会終了後】

500写経会190623


東光寺(静岡市清水区横砂)では毎月23日午前10時より写経会を行っています。
※写経会について詳しくは東光寺ホームページをご覧ください





写経会は

・法話
・読経(般若心経)
・短時間のイス坐禅
・写経
・茶礼【お茶】

の順番で行われます。





今月の写経会では“お茶”の時間がいつも以上に盛り上がりました。


話した内容は「お墓のこと・火葬や遺骨のこと」でした。



・地元の火葬場が新しくなったけど、まだ行ったことがない。新しい火葬場に興味があるが見学に行けない

・私は土に還りたい

・ペットの法事はするのに、私の法事をしてもらえなかったら悲しい

・1人用のお墓も良いかもしれない

・お墓の中に骨壺のまま納めて欲しい



などなど、いろいろと興味深い話ができました。




その中で参加者の方が


「火葬のこととか、お墓のことは普段はなかなか話せない。お葬式のときもバタバタしていて話せない。今日はいろいろと話ができて良かった。」


と言うと、周囲の方々も「うん、うん」と同意して場面が印象に残っています。





“いつか”は考えなくていけないが、その“いつか”のきっかけがない。終活もまだ早い気がして始めづらい・・・




という方が多いように感じます。




“いつか”や終活とまではいかないけれど、お寺だと最期のことを話したり考えることができる。写経会・坐禅会などお寺の行事の後に少しだけでも普段は距離を置いている話題について考える時間があっても良いのかもしれません。

人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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