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自己紹介やお知らせなど 【固定記事】

【自己紹介】
氏名:横山友宏 

東光寺 副住職 (静岡市清水区横砂)
袖師保育園事務職員

昭和54年(西暦1979年)誕生。高校まで静岡で過ごし科学にはまって理学部 物理学科卒業。科学の楽しさを伝えたくなり公立中学校勤務(理科担当 時々技術 部活は卓球部顧問)。その後いろいろあって現職です。

※自己紹介はこちらの記事で詳しくさせていただいています


【開催案内】
400子供坐禅会 チラシ 令和元年冬 正方形 320除夜の鐘 竹灯り チラシ 令和元年冬 正方形 600ボタン 朝日カルチャー


【紹介】
おばあちゃんのおはぎ スライド用 横長01
絵本 【おばあちゃんのおはぎ】 を作りました。御興味ある方は是非ご覧ください。
※PC版はこちらから
※スマートフォン版はこちらから

【開催報告】
500ボタン 子供坐禅会 500寺子屋ロゴ

大般若と脳科学


毎年1月の中頃になると、喉が枯れ気味です・・・


年が明けてから半月ほどは多くのお寺の大般若会【だいはんにゃえ】に出させていただき、全力で叫び続けているためです。





500大般若祈祷会回向




以前も紹介をさせていただきましたが、脳科学的にも“祈り”は良いものだと言われています。



「祈りは通じるのか?」


と聞かれれば多くの宗教家は「通じる」と答えます。


「祈ると本当に幸せになれるのか?」


と聞かれれば「なれます」と答えます。






これと同じ答えをだすのが脳科学者の中野信子さんです。 



中野氏は




他人の不幸を願う「後ろ向きな祈り」と 

自分だけでなく他人の幸福をも願う「前向きな祈り」





に分けて考えています。





脳の中では他人の不幸を願う「後ろ向きな祈り」をした場合、コルチゾールというストレス物質を分泌するそうです。この物質は人間の脳の中でも中心的な役割をもつ「海馬」を委縮させえてしまい、自分自身にも悪影響を及ぼすそうです。



 それに対して「前向きな祈り」をした場合はドーパミンやオキシトシンといった多幸感や快感をもたらす物質を分泌するそうです。さらにこれらの物質の中には脳を活性化したり、記憶力の高まり、さらには体の免疫力を高めたりするものもあるそうです。









私なりに意訳をすると


他人の不幸を願う後ろ向きな祈りは自分自身に過度のストレスを与え、

周囲の幸福を願う前向きな祈りは 自分自身を脳内から幸せにする。




となるのです。もちろん、良い効果を期待しながらいくら祈っても効果はありません。








 東光寺(静岡市清水区横砂) では毎年 1月7日 は 大般若 【だいはんにゃ】です。




大般若とは大般若転読祈祷会【だいはんにゃ てんどく きとうえ】の略称です。
※大般若会について詳しくはこちらをご覧ください。




 この法要は1300年以上続くもので、六百巻にもなる「大般若経」という経典を読み、その功徳によって全ての障害が取り除かれ仏道が成就することを祈る儀式です。




個別の願望を叶えるために祈るのではなく、全ての人の為に全力で祈る儀式が大般若会なのです。



つまり法要中、法要直後のお参りをしてくださっている全て皆様は脳科学的に幸福になれることが約束されているのです。





大般若会の法要は年明け頃に行うお寺も多くありますが、3月・4月・5月などにも行われています。


近くのお寺や御縁のあるお寺で「大般若」という文字を見ることがありましたら、ぜひ興味をもって調べていただき手続きすませて(お寺ごとに参加方法が異なりますので必ず確認をしてください)荘厳な雰囲気の中で行われる迫力ある法要に参加し一心にお参りをしていただければと思います。

涅槃【ねはん】を学ぶ

先日、お世話になっている和尚様に


「お葬式のことについて 私達僧侶はもっと勉強しなくてはいけない」


と一冊の本を紹介していただきました。





その本とは




600涅槃経 平川師200117



自在に生きる 【涅槃経】 著者:平川彰


です。






涅槃経【ねはんぎょう】とは


涅槃経は、詳しくは「大般涅槃経【だいはつねはんぎょう】」と言います。「涅槃経」とは「完全な涅槃」という意味でして、お釈迦さまが肉体を捨てて、無余依涅槃【むよえねはん】に入られたことをいうのです。

これは凡人で言えば「死の記録」と言うような意味になるでしょう。お釈迦様が死に際して、どのような死にかたをなさったかということを示した経典です。



※本文より






私は以前、子供坐禅会でお釈迦様が亡くなるときの様子が描かれた涅槃図について話したことがあります。

※涅槃図についてまとめたページはこちらです。



自在に生きる 【涅槃経】 (著者:平川彰)はその際に手にすることがありませんでした。

まだ、全てを読んだわけではありませんが、興味深い箇所も多くあり、少しでも多くのことを学んでいきたいと感じる1冊に出会うことができました。

絵葉書法話33 【放下著】

600写経会 絵葉書 33 放下著


捨て去った姿は力強い




木の葉は光合成をして作り出した栄養分を木の幹に送るだけでなく、最後は自分自身をも分解した栄養分も幹に送り散っていく。だからこそ葉が落ちた木々は、あっという間に葉を生い茂るための底知れぬ力を秘めた力強い姿にも見える。
絵葉書【33】放下著










葉っぱが枯れ、木から落ちていく瞬間を「死」と例えることがあります。


葉っぱは枯れるまで、光りを受けて必要な養分を作り出す「光合成」を行っています。


光 + 水 → エネルギー(養分) + 二酸化炭素


ここで生み出されたエネルギー(養分)は葉っぱの成長のためだけでなく木の幹に運ばれ、木全体の成長にも使われます。


さらに葉は枯れていく段階で自分自身をも分解し、その栄養分すら木に送り込み散っていくのです。


葉っぱ自身が作った養分を「母」や「御先祖様」とも言える「木」に返すのです。






禅の言葉に 放下著【ほうげじゃく】という言葉があります。



煩悩妄想だけでなく 仏や悟りまでも捨て去り すべての執着を捨て去る


ことを説く言葉です。





一生懸命に何かに打ち込んだとしても、そこで得たものにこだわってはいけないと言うのです。


写真は東光寺本堂の前の冬の菩提樹です。


春から秋にかけて生い茂った葉は全て落ちています。


この葉のない菩提樹の状態を見て「さみしい」と感じるかもしれません。


しかし見かたを変えれば、直前まで生き抜いた葉が作り出した養分を蓄え、春になり新芽が噴き出し、あっという間に葉を生い茂るための底知れぬ力を秘めた力強い姿にも見えます。


私も自分が一生懸命取り組んできたものを「捨てなさい」と言われると「もったいない」と感じてしまいます・・・


しかし、捨て去らなくてはいけないのです。


木も葉がもったいないとため込んでしまったら、新しい葉が生えてくることができず十分な光合成を行うことができません。捨て去るからこそ新たな力を得て前に進むことができるのです。


同様に、煩悩だけでなく自分が積んだと感じている功徳を捨て去ることができたとき、全ての葉を失ってもあっという間に葉を生い茂るための底知れぬ力を秘めたような力強い生き方を見出すことができるのではないでしょうか。

絵葉書法話34 【無所得】

600写経会 絵葉書 34 無所得 空手にして来たり





空手にして、この世に来り、空手にして又帰る


私たちはもともと何も持たずにこの世に生まれ、そして生きる御縁が尽きれば何も持たずにあの世に帰っていく

絵葉書【34】無所得









しゃぼん玉が割れると中の空気は外の空気と一体となります。


しゃぼん玉の薄い膜によって中と外に区切られていましたが、膜が無くなれば外も中も関係ありません。


中の空気の方が尊い、外の空気の方が新鮮・・・

そんなことはありません。


中の空気も外の空気もまったく同じものなのです。





私達の“いのち”も同じです。


仏教では私達の“いのち”はそれぞれが単独で存在するのではなく、全てが繋がっていると説いています。


その大きな“いのち”を様々な言葉で表現をしますが、その中に「大いなるいのち」という言い方もあります。


私達は自分の“いのち”だと思っているものは大いなるいのちから飛び出した1滴の水のようなもので、やがては元の場所に戻っていきます。




これはしゃぼん玉の中の空気と同じではないでしょうか。


縁があってしゃぼん玉の中に入ったが、やがては元の場所に戻っていくのです。




まさに、

私たちはもともと何も持たずにこの世に生まれ、そして生きる御縁が尽きれば何も持たずにあの世に帰っていくことを表す


吾等もとより 空手にして、この世に来り、空手にして又帰る


の世界です。




はかなく割れるしゃぼん玉は「私達は何も持たずに生まれ、何も持たずに帰ってく。自分のものなど、何一つない。」と語り掛けます。


しかし、だからといって自分から膜を壊して割れるしゃぼん玉などありません。


その姿から、御縁に身を任せながらも精一杯にいのちを生かしきることの大切さを私達は学ばなくてはいけないのです。
人物紹介

新米和尚

Author:新米和尚
横山友宏
東光寺 副住職
【静岡市清水区横砂】

中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。(臨済宗妙心寺派)そんな新米和尚による、仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。


元:中学校教師
  (理科・卓球担当)

現:臨済宗妙心寺派の和尚
2人の娘の父親であり、育児にも積極的に参加し!?失敗を繰り返す日々を送る、40代を満喫しようとしている どこにでもいる平凡な男

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